地球の果てを目指す旅

旅と創造

連載第6回


文・絵 小林エリカ

ベッドに横になり、目を閉じる。
何度寝返りを打っても、うまく眠れない。
結局深夜3時に起き出して、キッチンでひとり黙々とパンを齧る。
目が冴え冴えとしている。

この夏、イギリスはロンドンへ旅行に行ったのだが、日本へ戻ってきてから、ずっとこんな調子だ。時差ぼけというのは、実に興味深い現象だ。地球は実際丸いのだ、という事実を、身を持って体感することができる。時折、私は地球が丸いと知らなかった人たちのことを考える。その人たちが海を、地を、その果てまで進んでゆこうとするときの気持ちを想像してみる。

地球の果ては、断崖絶壁になっているかもしれない。あともう少し進めば、海も陸も突然消え失せて、奈落の底へ転落するかもしれない。あるいは、未知のモンスターに出くわすかもしれない。そこへ出かけていって、生きて戻ってきた人は、未だひとりもいない。けれどなお、人は船を漕ぎ出し、馬を進める。

黄金を求めて。
冒険に乗り出そうとする。
好奇心と欲望ほど恐ろしいものはない。

かつて、ポルトサント島というポルトガルはリスボンから飛行機で数時間の、マデイラ諸島の小さな島へ訪れたことがある。展覧会に参加するよう誘われ、夏休みもかねて出かけて行った。そこで私にあてがわれた展覧会会場というのが、かつてクリストファー・コロンブスが暮らしたという家だった。15世紀の大航海時代、あの「新大陸」を「発見」した、あのコロンブスである。
 そもそも、コロンブスの暮らしていた家が残っているというのも衝撃だったし、私はコロンブスがそんな島に暮らしたなどと知りもしなかった。聞けば、かつてコロンブスはその島の領主の娘と結婚していたという。そしてその島の海で、潮の流れの読み方や、航海術を学んだのだとか。
 家は教会の裏手にあった。レンガ造りの小さな建物で、部屋の真ん中には井戸の深い穴があった。庭には鮮やかなピンク色のブーゲンビリアの花が咲きほこっていた。

小さな島だが、何キロにもわたってつづく黄金色のビーチがあり、街の中心の広場の脇にはBolo Do Cacoというガーリックバターをたっぷり塗ったピタパンにチョリソを挟んだものを売る屋台が出ていて、砂浜に寝転びながらそれを齧り、発泡性ぶどう酒のカヴァか、マデイラ酒を飲む、というのが最高だった。

その奇妙な縁以来、私はコロンブスという人のことが妙に気にかかり、「コロンブス航海誌」を読むに至った。

船を進めても進めても、全く陸地が見えてこない。何日も、何日も、進む先に広がるのは海ばかり。陸地があるかもしれない、という兆候さえ見えない。船員たちがひとり、またひとり、と不安に襲われてゆく。食料や水だって限られている。引き返そうにも、引き返せないところまで、船はもう進んできている。

改めて震撼した。地球が丸い、ということを未だ誰も知らない世界での、出来事なのだ。

私は長い小説を書き進めながら、コロンブスの航海を追体験するような気持ちになることがある。果たしてこの小説は完成するのだろうか。時間と労力をこれほど費やして、私はいったいどこへ向かおうとしているのか。私はこのまま何も為すことなくただ消えてゆくのではないか。かつて何艘もの船が、未知の大海へ漕ぎ出し、「新大陸」へもどこへも辿り着けないまま、海の藻屑と化したのだ。

もはや「発見」すべき「新大陸」がなくなった今の時代。
けれどなお、人は船を漕ぎ出し、馬を進める。

黄金を求めて。
冒険に乗り出そうとする。
好奇心と欲望ほど恐ろしいものはない。

小林エリカProfile
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)発売中。国立新美術館「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」展(~2019年11月11日)参加中。