高橋久美子の旅のメモ帳vol.14「由布院・別府 冬の温泉旅行」

大分県

2023.01.29

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高橋久美子の旅のメモ帳vol.14「由布院・別府 冬の温泉旅行」

作家・作詞家として活躍されている高橋久美子さんが、旅先でとったメモを起点に心にとまった風景を綴る連載エッセイ。連載最後となる今回は、湯巡りが好きになった大分の温泉との出会いを教えてくれました。

私は寒いのが大の苦手で、冬のお風呂は、毎日入るまでぐずぐずしてしまう。出るのもまた寒いから躊躇していたら、湯が冷えて、ぬくもったのかどうか分からないままにぶるぶる震えながら出る羽目になるのだ。そういうわけで、温泉旅行へ行くよりは、街や食を巡る旅の方が好きだった。由布院や別府へ行くまでは。

十年前、友人のお父さんの別荘があるからみんなで由布院へ行こうということになった。実家の愛媛からフェリーで渡った大分は、山へ行っても海へ行っても湯気が立ち上り、そこらじゅうから温泉が湧き出ていた。明治時代から観光地として親しまれてきた「地獄めぐり」へも行ってみた。白や赤の沼から、ぼこぼことマグマ的に湯が湧き上がったり、岩の割れ目から湯が吹き出たりと、ほぼ地熱だけで魅せているクラシカルな観光名所だ。まあ、それだけと言えばそれだけなんだけど、絶叫マシーンや腰を抜かすほどのお化け屋敷より、私には丁度いい。ところどころに申し訳無さそうに鬼が待っているのもいい感じ。娯楽の少ない時代には遊園地に匹敵するエンターテイメントだったのだろう。空を見上げることはあっても、地球の神秘を土の中から感じることはそうないから、日々活動し続ける土の下の得体の知れないエネルギーに感動したのだった。

そのときは夏で、暑い中、熱々の湯に浸かって汗だくになった。別府エリアの中でも熱々の湯が「竹瓦温泉」だ。千と千尋の神隠しに出てきそうな、レトロで存在感ある外観。服を脱いだあとに裸のまんま、わりと長い階段を降りていくのにも驚いた。天井が高く両サイドの窓から光が差し込み、古代ギリシャの温泉のような雰囲気もあった。熱くて熱くて10分もすると出ることになるのだけれど、私にとって温泉の良さは、まずは泉質、その次には綺麗すぎないこと、整っていないことかもしれない。


それからというもの、私は時間ができたら由布院や別府の温泉を巡るようになった。温泉パワーにより、冬でも湯が冷めてぶるぶるすることはないし、寒いほど何軒も回ることができた。大分のいたるところで見られる“野良温泉”をとりわけ気に入った。金鱗湖へ行った帰りに、「下ん湯」という木の看板がかけられただけの掘っ建て小屋を見つけた。あれは温泉だろうか? 気になって近寄ってみる。野原の真ん中にぽつんと立った茅葺きの小屋。外にかけられた貯金箱に200円を入れるよう書かれている。中を覗いて見ても人はだれもいないし脱衣所はない。しかも、湯船は一つだけで男女混浴だったと思う。平日で、誰も来なさそうだったので「えいやっ!」と友人と入ってしまった。このお風呂を作った人の木札が壁にずらりとかけられていた。町の有志の方々が自分たちのために作ったお風呂なのだろう。川のせせらぎと虫の音だけが聞こえて、見知らぬ土地の野原で素っ裸になっていることのおかしさと、誰か来やしまいかとドキドキしながらじんわりと時に身を委ねた。

湯に浸かるということは、身も心も裸になるということだ。何も考えずにぼーっと湯に入っているとぷかっとアイデアが浮かび上がるから不思議だ。散々考えてもまとまらなかったことが、湯の中で整頓されていく。裸になり、いろんな荷物を下ろすからこそ入ってくる余地が生まれるのかもしれないな。

塚原温泉、鉄輪温泉、夢想園、別府温泉保養ランドのぬるぬるの泥湯も、ラムネ温泉のぬるま湯も、薬草の上に寝転がる鉄輪むし湯も良かった。どの温泉が一番良かったかと聞かれても答えられないくらい、個性的で摩訶不思議で、どこもいいお湯なのだった。
それでも、しいて一番をあげるなら共同温泉の「筌の口温泉」と答えるかな。ふちが見えないくらいに硫黄がべったりと重なり、らくだ色になった風呂桶、鉄の匂いのする黄土色っぽいお湯、そこにおばあさんたちがぎゅーっと浸かっているのが今も思い出される。千と千尋の神隠しで、神々が風呂に入っているようなずどどーんとした、歴史とありがたみのある光景だった。

東京から来たと言うと、こんなところへよう来なさったなと喜んでくれた。まだ大分が「おんせん県」として謳われる前で、観光地ではない山間の小さな銭湯に来る県外の客はほとんどいなかったのだと思う。数年後、おんせん県のポスターになっているのを見かけて、ついに全国デビューなんだなあと眩しく思ったのだった。その後も、何度か訪れているけれど、脱衣所に置かれたノートにはたくさんの温泉ファンのコメントが寄せられていて、地元の人だけでなく温泉好きには欠かせない温泉になっていることは間違いなかった。
共同浴場や野良の温泉が、本当の野良温泉というわけではない。地元の人達が交代で掃除をしながら守っている施設も少なくないのだ。だからこそ、私達観光客はお邪魔しますの気持ちと、温泉コミュニケーションを忘れないでいたい。

古くから湯治場として利用されてきたお湯も多くあり、簡単な宿や食事が一緒になった施設もあった。病治癒の願いを感じる湯も少なくない。源泉にほど近い塚原温泉では、ここへ毎日入って治癒したという方とも出会った。心身が開かれて解き放たれてゆき、湯に入りながらなんとなく話し込んでしまう社交場としての魅力もある。ほぐされ、整い、そしてまた服を着てそれぞれの場所へと帰る。人々の人生が湯の中で混ざり合って、流されて循環していくのを感じる。寒いからこそ温かさを知る冬の温泉旅だった。

今月で、最終回となりました。これまで読んでくださってありがとうございました。みなさん、これからも良い旅を続けてくださいね!

高橋久美子の旅のメモ帳

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#温泉 #エッセイ #別府温泉 #由布院温泉

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作家・作詞家 高橋久美子

作家・作詞家

高橋久美子

1982年愛媛県生まれ。作家、詩人、作詞家。バンド、チャットモンチーのドラマーとして活躍後2012年より文筆家として活動する。詩、エッセイ、小説、絵本、絵本の翻訳のほか、様々なアーティストに歌詞提供を行っている。主な著書に、旅エッセイ集『旅を栖とす』(角川書店)、小説集『ぐるり』(薩摩書房)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ミシマ社)エッセイ集『いっぴき』(ちくま文庫)など多数。近著『その農地、私が買います』(ミシマ社)が話題となっている。

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