交通の要衝として栄えた岡山市には、古くから数多くの寺社が創建されました。岡山の礎を築いた戦国武将ゆかりの寺院をはじめ、壮大な時の流れを身近に感じられる社寺が数多く存在。今も人々を惹きつけ、癒し続ける寺社仏閣を訪ねたら、岡山市を知るヒントがありました。
交通の要衝として栄えた岡山市には、古くから数多くの寺社が創建されました。岡山の礎を築いた戦国武将ゆかりの寺院をはじめ、壮大な時の流れを身近に感じられる社寺が数多く存在。今も人々を惹きつけ、癒し続ける寺社仏閣を訪ねたら、岡山市を知るヒントがありました。
平安時代末期、兵火で消失した奈良・東大寺の再建を任じられた僧侶・重源(ちょうげん)。彼が東大寺に葺く瓦の製造場所として選んだのが備前国、現在の東区瀬戸町万富地区でした。その製造成就祈願のため、東大寺の鎮守・手向山八幡宮を勧請して建てられたとされるのが「阿保田神社」です。神社の東・南・西にそれぞれ10基の窯を造営したとの伝承があり、境内から「東大寺」と刻印された瓦が出土しました。
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住所/岡山市東区瀬戸町万富1989
電話/086-952-1101(宮司宅)
日本三大稲荷のひとつとして知られる「最上稲荷」。正式名称は「最上稲荷山妙教寺」といい、神道と仏教が融合した信仰「神仏習合」の形態を許された貴重な霊地です。お寺でありながら、鳥居や神宮形式の本殿を有するのも特徴。家内安全、商売繁盛、開運などの祈願ができるのはもちろん、全国的にも珍しい縁切り、縁結びの両方の神様が祀られていることでも有名です。毎月7日に行われる「両縁参り」では、お坊さんから直接正式な参拝方式を伝授してもらえるとあって、多くの人が訪れます。
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住所/岡山市北区高松稲荷712
電話/086-287-3700(最上稲荷9:00〜16:30)
岡山藩主・池田綱政が元禄11(1698)年に、高祖父の信輝と父光政の菩提を弔い、自らの冥福をも祈るために建立した臨済宗妙心寺派の禅寺。本堂の背後には、綱政から12代章政までの歴代藩主や近親者の墓が整然と並んでいます。また、境内には池泉回遊式庭園や、約100本の松並木が立ち並ぶ参道があり、四季折々の景観美を堪能できる場所としても有名。自然豊かな環境ゆえにホタルの発生地としても知られ、初夏の夜には幻想的な光景に出会えます。
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住所/岡山市中区円山1069
電話/086-277-8226
江戸時代に開墾された沖新田地区の産土神(うぶすながみ)として建立され、宝永6年(1709)年に現在の地に遷宮した「沖田神社」。拝殿の左奥に進むと現れる「道通宮(どうつうぐう)」は、天正10(1582)年に「水攻め」を受けていた備中高松城主・清水宗治の次男である長九郎が祈願すると、一匹の白蛇が現れ、守り導かれて西大島の御滝山へ逃げることができたという逸話があります。開墾の際、潮止め工事を成功させようと人柱になった女性・キタが氏神として祀られており、干拓の功労者である津田永忠の像も建てられています。
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住所/岡山県岡山市中区沖元411
電話/086-277-0196(沖田神社・道通宮)
岡山城を築いた宇喜多氏の菩提寺として、宇喜多直家・秀家親子のファンが多く訪れる「光珍寺」。第二次世界大戦時の岡山空襲により焼失し、現在は木造で朱塗りの重層宝形造の本堂となっています。元は、東側に隣接する岡山寺と同一の寺院で、慶安5(1652)年の池田光政の時代、岡山寺光珍寺と岡山寺観音坊に分割されました。本堂に向かって左側には宇喜多氏の祭壇が祀られており、宇喜多直家の命日が2月14日のバレンタインデーに当たることから、毎年ファンがチョコレートを供えることが恒例になっています。
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住所/岡山市北区磨屋町6-28
電話/086-222-2028(光珍寺)