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夜遊びも旅のカタチ 六本木 NIGHT OUT with 野宮真貴×クリス・ペプラー

RHYMESTERのMCとして日本のHIPHOP界を牽引し、
近年は俳優としても活躍するMummy-D。
彼が青春を過ごした幡ヶ谷は、渋谷区でありながら、
下町風情溢れる人情の街だった。

撮影/倭田宏樹(TRON)
取材・文/森野広明、田島太陽(BLOCKBUSTER)
ヘアメイク/岩城舞

Vol.1「walk」
幡ヶ谷高架下

あの当時、オモロい人たちは
みんな幡ヶ谷にいた

2002年から2008年までの6年間、幡ヶ谷に住んでいたMummy-Dさん。当時のことを“独身の雑巾時代”と表現する。

友だちがみんなが幡ヶ谷に住んでたんですよ。このへんで夜な夜なワイワイ飲んでたから、当時住んでた三宿まで毎回タクシーで帰るのがめんどくさくなって、オレも引っ越しました。それで6年住んだけど、生活は本当にひどかったな。まだ稼ぎも少なかったし、部屋中にビールの空き缶やコンビニのビニール袋、洗ってない洗濯物なんかが散乱する地獄でしたよ(笑)。結婚前の悪あがきじゃないけど、仲間と集まってレコードを聴いたり、好き放題に飲み歩いた街だから、いまだにどこよりも愛着があるんです。

プレイスポットよりも
集まる人そのものが街の魅力

正直、幡ヶ谷にはプレイスポットというような大した場所があるわけじゃない。でも、そこにいる人たちが魅力的。あの当時、僕らのまわりのオモロい人たちはみんな幡ヶ谷にいたんです。その人たちに引き寄せられるように、また新しい人が集まってくる。気取らずにいられて、居心地がいい街だから、どんな人でも受け入れてくれるんだよね。六号通り商店街は、よくCMの撮影に使われる幡ヶ谷のメイン通りなんだけど、新宿から一瞬で来られると思えないくらい下町風情がありますよ。初めて来た人は、まずあそこをブラブラ歩くだけでも楽しいんじゃないかな。

幡ヶ谷 NIGHT OUT Vol.1「Walk」
六号通り商店街入り口
幡ヶ谷には、“ちょうどいい”お店がたくさんある

人生最後の日に食べたい一皿も、
母と通った思い出の店も、この街に

Mummy-Dさんは、幡ヶ谷の魅力を「人」と語る。個人経営の飲食店が多く、それぞれの場所に、大切な思い出もあるという。

「とり助」は、母親が家に来たときによく連れて行った店。移転前は七号通りにあって、すぐ隣に住んでたんです。パンツ一丁でもいいんじゃないかってくらいの距離感で、しょっちゅう行ってました(笑)。ひとり飯なら「ハシヤ 幡ヶ谷分店」。あさりとイカと青しそのジンジャーソースは、人生最後の日に食べたい一皿かもしれない。「キャンティ・ノーノ」は、おしゃれでカジュアルだから、デートや誰かの誕生日でよく使ったな。ここのサラダのドレッシングは“イケない物が入ってるんじゃないか?”ってくらいクセになるおいしさなので、ぜひ1回食べてみてほしいです。

気取らず住めて気取らず飲める
“ちょうどいい”街

六号通り商店街をプラプラ歩くイメージで歌詞を書いた曲が、RHYMESTERの「ちょうどいい」(2010年)なんです。歌詞に出てくる蕎麦屋のモデルは幡ヶ谷駅前にあった「朝日屋」(2017年に閉店)。歌詞では創作が入ってて“そば湯がただの熱湯じゃねえか”みたいに、あまりいい風には言ってないんだけど(笑)、なんとその曲を偶然フェスで聞いたお店の娘さんから、手紙をもらったことがあるんです。「ウチも蕎麦屋ですけど、ちゃんとそば湯出してますよ」って、「朝日屋」がモデルとは知らずにね。こんな偶然ある? って驚きましたよ。幡ヶ谷にはそんな、気取らずに立ち寄れる“ちょうどいい”お店がたくさんある。それが、街の持つ魅力なんだと思います。

幡ヶ谷 NIGHT OUT Vol.1「Walk」
幡ヶ谷駅北口
Mummy-D
PROFILE
Mummy-D(ライムスター)
ヒップホップ・グループ「RHYMESTER」のラッパー、サウンドプロデューサーであり、グループのトータルディレクションを担う司令塔。1989年、大学在学中にメンバーと出会いグループを結成、日本のヒップホップ文化を開拓牽引してきた。近年はドラマ、CM、舞台などでの役者、ナレーター業にも活躍の場を広げている。RHYMESTERは2019年に結成30年を迎えて、さまざまな記念リリース、イベントが企画され、現在は47都道府県ツアーを敢行中。
http://www.rhymester.jp