高橋久美子の旅のメモ帳vol.9「瀬戸内の島と芸術を巡る旅」

香川県

2022.08.24

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高橋久美子の旅のメモ帳vol.9「瀬戸内の島と芸術を巡る旅」

作家・作詞家として活躍されている高橋久美子さんが、旅先でとったメモを起点に心にとまった風景を綴る連載エッセイ。今回は、現在夏会期中の瀬戸内国際芸術祭と「心の休憩場所のよう」だという島巡りについて。ご自身のアート活動にも共通する豊かさが見えてきます。

文・写真/高橋久美子

今年は、3年に一度の瀬戸内国際芸術祭の年。香川県や岡山県の島々がアートで彩られる。春から開催されていて、夏、そして秋と会期が続く。
直島(なおしま)という響きは、アート好きにとっては一つの合言葉になっている。旅先のヨーロッパでも日本なら直島へ行ってみたいという声を聞いたり、今やアートの島として広く知られるようになった。私は香川よりの愛媛出身だが、20年前、大学生の頃に直島に地中美術館がオープンしたと聞いて初めて島を訪れた。そこで初めて安藤忠雄建築を見たし、自分の住んでいる場所から目と鼻の先にこんなに沢山の島があることを知った。意外と地元のことほど知らないものだ。船でないと行けないというのも島の魅力で、波しぶきをあびながら小舟で島へ向かう冒険感がたまらなくて、以来20年間、毎年、ときには季節ごとに直島をはじめ島々を巡ってきた。瀬戸芸にやってくる人は、7〜8年前までは都会のアート好きや海外からのお客さんが殆どだった。実際、レンタサイクルのノートに書かれたfromの殆どが「東京」や「大阪」だった。しかし、この頃は地元の母や父まで「話題になっているから」と近所の人たちと島を訪れるようになってきた。小豆島や淡路島のような大きな島は、観光地として昔から地元民もよく訪れていたが、直島を訪れたことのある人は殆どいなかった。

島々を訪れて知ったのはアートの素晴らしさだけでなく、アートを抱ける島の雄大な自然だったし、フェリーが乗れなくなるほどに押し寄せる観光客を受け入れてくれる島民の寛大さだった。迷惑しているという話もいくつか聞いたが、多くの方が好意的に迎えてくれていたと思う。
地中美術館のシンとした静けさ、コンクリートのひんやりした硬さ、足元のタイルの感触、差し込む光のゆらぎ……。そこに佇んでいるモネの巨大な睡蓮は、時間帯や季節で光の当たり方が変わり、見え方を変えた。大学を卒業したばかりの私は、その日何回もこの空間に身を委ねた。島の持つ力が合わさって、足元から未知の感動に飲み込まれていくような経験だった。この島でなければできない総合芸術。この絵が他の美術館へ巡回されてもこんな気持ちは湧き上がらないだろうと思った。

あれからだ。私が島に魅了されて、通うようになったのは。特に、豊島(てしま)を好きになった。直島のようには洗練されず、昔ながらの風景が広がる島。訪れる度に会うようになった島の方もいたりして、心の休憩場所のようになっていった。

2010年にできた豊島美術館にも、息を呑むことになる。草原の中にぽっかりとできた宇宙船のような流線型の美術館に足を踏み入れる。ここが美術館なの? 絵も額装された作品もない。中央へ歩み寄り足元をよく見ると、ビー玉ほどの球体から、ゆっくりと水が湧き出て滴っていく。やがて隣の水脈から出る水たまりと合体し、目の前をすーっと流れていく。うっかりしていたら踏みそうになるほどだ。
作品の中に足を踏み入れる緊張感。同時に、自分自身も水滴になってそこへ流れていく感覚がある。円形のホールで、延々と水滴の営みは繰り返され、生み出された水が真ん中に溜まっていく。それは全ての生命のはじまりだった。低い天井には大きな穴が開けられ、風が流れ、雨の日には雨が、雪の日には雪がその池に直接降り注いだ。外と中の境がない。この地球で毎日起きている現象を、あえてここで眺めることで、私たちを生物として生まれた場所へ帰してくれるようだった。
「へー」と眺めて、5分で出ていく人もいる。1時間、2時間……むしろ瀬戸芸の賑やかな期間を外して行き、じっと座って耳を澄ませる私のような人もいる。その人が何を見るかを委ねられている。豊島の歩んできた歴史も含めて、あの場所でしか成立しない、奇跡のような空間だ。

私は2009年からヒトノユメというアートチームを結成して各地で展覧会を開催してきた。船着き場の朽ちた倉庫や、洋館、繭蔵、今年は醤油蔵で。その土地の歴史を吸い上げた場所でその土地とコラボすることを目指して展示をしている。
その原点は、瀬戸芸だったんだなと書きながらふと思った。友人と島の中を自転車で巡ったことや、漁師さんに夜光虫を見に連れて行ってもらったこと、レモンをもらったこと、夕焼けに感動したこと、一人、誰もいない冬の豊島美術館で雪を眺めたこと。芸術を追いかけながら、私は島の自然やそこで生きる人達と出会っていた。それはもう一度自分自身と出会い、向き合うことでもあった。
そして、作品を作る側も少なからず島に影響を受けながら制作するのではないか。その土地の力をすくい上げた作品は島と呼応しあい、今を生きる人へと熱は伝わっていく。

豊かな自然の中で芸術を鑑賞することで、芸術とは自然の中から生まれてきたことに気づく。対極のような前衛アートも、島々にたたずむ作品はいろんな角度から人や自然の中に入り込み語りかけてきた。季節の巡りとともにその表情を変えながら。正直、よくわからないものもあるけど、それはそれでいいんだと思う。芸術は八方美人でなくていい。私は今回気になるものをじっくりと鑑賞する。次来たときは注目する作品が変わっていたりして、自分が刻々と変化していくのも面白い。

ものすごい数の作品があるので、欲張らずに島にいることを満喫する。素直に自分を広げて潮風に当てる。そこに住む人と他愛もない話をしたり、地域ネコとたわむれ、旅人どうしで交流する。「このあたりで清水が湧いている島は豊島だけなんだよ」と教えてくれたのは地元のおじいさんだった。この島を訪れると、自分の清水が湧き出して巡りはじめる。ただそれだけをしに行っているように思う。そうして循環が整って、また島民に手を振ってもらって島の外へと帰っていくのだ。

瀬戸内芸術祭

高松から高速船やフェリーが出ている

瀬戸内芸術祭

清水の湧き出る豊島では棚田再生プロジェクトも

瀬戸内芸術祭

地域ネコはみんなの人気者

◆瀬戸内国際芸術祭2022
夏会期:8月5日(金)~9月4日(日)
秋会期:9月29日(木)~11月6日(日)

3年ぶりに開催! 瀬戸内国際芸術祭でみんな笑顔に

高橋久美子の旅のメモ帳vol.10「愛媛、道後温泉の旅」

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#アート旅 #島旅 #瀬戸内芸術祭 #エッセイ

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作家・作詞家 高橋久美子

作家・作詞家

高橋久美子

1982年愛媛県生まれ。作家、詩人、作詞家。バンド、チャットモンチーのドラマーとして活躍後2012年より文筆家として活動する。詩、エッセイ、小説、絵本、絵本の翻訳のほか、様々なアーティストに歌詞提供を行っている。主な著書に、旅エッセイ集『旅を栖とす』(角川書店)、小説集『ぐるり』(薩摩書房)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ミシマ社)エッセイ集『いっぴき』(ちくま文庫)など多数。近著『その農地、私が買います』(ミシマ社)が話題となっている。

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