小林エリカの旅と創造

小林エリカの旅と創造

#40 下仁田のコンニャク
SCROLL

生子(きご)と呼ばれるそれを土の中へ埋める。
それは灰色で親指のようなかたちをしている。
先端には、ピンク色のツノのようなかたちの芽が飛び出している。
しばらくするとその芽がまっすぐ伸びてきて、
逆さまにした筆のようなかたちができる。
それから筆の毛先の部分がラッパのように開き、
葉がパラソルのように伸びていく。
小さな木の幹みたいな茎には
斑点模様が浮き出している。
東南アジア原産、サトイモ科のその植物は、
なんとも奇怪で美しい。

夏日が続く七月下旬、群馬県下仁田へコンニャク畑を見に出かけた。
「上州下仁田屋」の神戸重信さんが、畑を案内してくださった。
私はこのところ第二次世界大戦中に学徒動員された女学生らの手でつくられた風船爆弾についてリサーチを続けていて、その原料は和紙とコンニャク糊。というわけでコンニャクについて調べるうち、私はその奇妙な魅力に引き寄せられたのだった。

1/6

神戸さんが運転するワンボックスカーで細い山道を登ってゆく。
頂上まで登りきったところでぱっと視界が開け、広大なコンニャク畑が広がっていた。
ラジオの音が聞こえ、畑のまわりには電流を流した柵が張り巡らされている。
鹿や猪が畑にやってくるからだという。
太陽の光がじりじり照りつけていて蒸し暑い。
葉は濃い緑色でまばゆいほどだ。
(もうしばらくするとボルドー液という消毒液を畑に撒くので、やがて葉は全体が白っぽく曇って見えるようになるらしい)
その地底でこれから秋にかけてコンニャク芋が育ってゆくという。
それにしても、聞けば聞くほど、コンニャクほど作るのが大変そうなものはない。

2/6

まずは水はけがよい畑でないとコンニャク芋は腐る。
(だから火山岩の多い下仁田には最適)
冬には一度コンニャク芋を掘り出し、二年、三年と埋め直して育ててから出荷するのだが、その芋も風通しのよい場所に置かないと腐ってしまう。
(かつて富岡製糸場で絹糸生産のための養蚕が盛んだった群馬県のあたり一帯。養蚕が衰退した後、その蚕棚はコンニャク棚に!)
しかもコンニャク芋を埋め直す時、同じ畑に植えると連作障害がおきてしまうから、別のものを植えていた畑に植え直さなくてはならない。
(めっちゃ大変)
しかもそうしてようやくできたコンニャク芋、サトイモ科なので万が一にも素手で触ろうものなら痒みに襲われるらしいから要注意。
(痒さはサトイモどころではないらしい)

3/6

・・・・と、その大変さは、一寸聞くだにここに書き尽くせないほどである故、下仁田でもコンニャク農家は年々減ってしまっているらしく、私とほぼ同年代の神戸さんが一番の若手だという。
とはいえ、聞けばいま欧米ではダイエット食品として空前のコンニャク麺ブーム。インドネシアでは自国ではコンニャクを食べないものの、中国輸出向けのコンニャク芋づくりが隆盛を極めているのだとか。
コンニャクといえば私にとっては味噌田楽だとか、せいぜいこんにゃくゼリーのイメージだったが、コンニャクの可能性はまだまだ無限大なのかもしれない。

4/6

帰り道、「道の駅しもにた」で、コンニャクづくり体験もさせてもらった。コンニャク芋を乾燥させ粉状にしたコンニャク粉50gに対して水1600cc。それで板コンニャクが6、7枚できるという。水でふやかしたコンニャク粉を手でこねるのだが、コンニャクが糊として使われていたのも納得、実にねばねば。そこへ凝固剤の水酸化カルシウムをいれるとぷにぷにした感触になり、さらにこねるとまとまりがでる。それを型に詰めてから取り出し熱湯で茹でると、コンニャク板のできあがり。
できあがったそれは白色でつやつやだった。
スーパーなどで買うコンニャクが灰色なのは、ヒジキなどの海藻が加えられているからなのだと、私ははじめて知った。

5/6

家族も一緒に体験に申し込んでいたため12個(大量!)のできたてぷりぷりのコンニャクを抱え、私は浮かれた足取りで家に帰った。柚子味噌で食べたり、きなこ黒みつで寒天風に食べたり、冷凍して凍みこんにゃくにしてみたり。まだまだいくらでも食べられる。
しかしこれでカロリーが殆どないのかと思うと、またまた奇怪な気持ちになる。
コンニャクほど魅惑的なものはない。

Thanks to 「上州下仁田屋」神戸重信さん

6/6
小林エリカ
Photo by Mie Morimoto
文・絵小林エリカ
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)で第8回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。そのほかシャーロキアンの父を書いた『最後の挨拶His Last Bow』(講談社)、自身初となる絵本作品『わたしは しなない おんなのこ』など。