小林エリカの旅と創造

小林エリカの旅と創造

#42 小川町の和紙漉き
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飴色の液体が、木製の桶「漉き舟」の中で光を反射しながら揺れている。
そこへを挟んだ木枠、「」が差し入れられる。
漉き水がすくわれ、水が簀の合間から下へと滴り落ちてゆく。
簀に(※)の繊維だけが絡まり残る。
うっすら雪がつもったようになる。
そこへふたたび漉き水がすくわれる。
こんどは手早く左右に揺すられる。
飴色の液体が簀の中央でぶつかりあう。大きく高い音が鳴る。
※楮……和紙の原料となる植物

私は、第二次世界大戦中に学徒動員された女学生らの手でつくられた風船爆弾についてのリサーチを続けているのだが、その原料は和紙とコンニャク糊。というわけで下仁田にコンニャクを訪ねた後、遂には埼玉県小川町にある和紙工房へまで辿り着いたのだった。
特殊なサイズと強度の和紙開発において重要な役割を果たしたこの街で、久保製紙がいまなお紙漉きの工房を持っていることを知り、和紙づくりの体験をさせていただいた。

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小川が流れる両岸には彼岸花が咲き誇り、ふとまわりを見回せば、あちこちに和紙の原料になる楮の枝が伸び、眩しい緑色の葉が茂っていた。
埼玉県小川町はかねてからの和紙の産地で、その「細川紙」製造技術は、国から「重要無形文化財」の指定を受けている。

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和紙づくり体験は楮の皮をソーダで煮るところからはじまった(実際には、楮の枝を切り、蒸し、皮の黒い部分を剥ぐ、水に晒す、という工程もあるのだが、それは冬に収穫したさいに作業は終えられている)。
その後、煮た楮の皮を水に晒し、ゴミや黒い部分を取り除く。それを(ざっくり述べると)粉砕し、繊維状になるまで機械にかける。楮が完全にばらばらの繊維になったところで、それを水に放ち、粘着性のあるトロロアオイの根の液体を混ぜ、桁で漉く。
そこへたどり着くまでの工程がすでに大変すぎて、私はくたくたになる。

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勿論、紙漉きが職人技であることは言うまでもない。水を掬った桁はかなりの重さで、私は五枚も漉いたところで、音を上げた。
さらに、紙が漉き上がった後には水を絞り、板に貼って乾かす、という工程まであるのだから、思わず倒れそうになる。
一枚の和紙ができあがるために、どれほどの労力と時間が注ぎ込まれているのかと考えると目眩を覚える。

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戦時中、この町の紙漉き工房ではそれぞれ、和紙が一日五百枚のペースで漉かれたという。
この頃でも一日三百枚程度を漉くらしいが、五百枚を漉くというのは食べる寝る以外の全ての時間を仕事に充てて励んでやっとのことだ、と教えられた。

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ようやく乾いた和紙を木製の板から剥がし、私は思わず感動の声をあげる。淡い雪のように楮の繊維が絡まりあってできた一枚の和紙。
そこに青い色粉を混ぜたコンニャク糊を絵筆で塗ってみながら、私は深い感慨を覚えずにはいられない。

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私の旅と創造はまだまだ続きそうですが、今回でこの連載は終わりになります。
旅色編集部の後藤里美さん、読者の皆様、本当にありがとうございました。

Thanks to
有限会社久保製紙 紙すきの村

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小林エリカ
Photo by Mie Morimoto
文・絵小林エリカ
小説家・マンガ家。1978年東京生まれ。アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)で注目を集め、『マダム・キュリーと朝食を』(集英社)で第27回三島賞候補、第151回芥川賞候補に。光の歴史を巡るコミック最新刊『光の子ども3』(リトルモア)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)で第8回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。そのほかシャーロキアンの父を書いた『最後の挨拶His Last Bow』(講談社)、自身初となる絵本作品『わたしは しなない おんなのこ』など。