軽井沢の森で見つけた「わたし」への還り道――プラントベース・リトリートの3日間
リトリート大好き、旅するように暮らしたい旅色LIKESライター・リリが綴るフォトエッセイ。あなたが最後に心から「自分のためだけの時間」を過ごしたのはいつだったでしょうか? 自分を大切にしたいと願いながらも、自分のことを後回しにして、家族や仕事を優先してきたすべての人へ――。「プラントベース」という“食”への関心で結ばれた女性たちと過ごした、軽井沢での濃密な3日間。そこで得た気づきと学びの一部をお届けします。
目次
未知への一歩――プラントベースという扉の向こうに
今回のリトリートツアーは、ヴェルヌ華子さん(プラントベース・ウェルネスコーチ)が提唱する「プラントベース」という植物由来の食材を基本とした食生活(動物性の食品を完全には排除しない考え方)や、ライフスタイルに賛同するオンラインコミュニティ「Plantful Journey」のメンバーが中心のイベント。私は外部からの一般参加だったが、自分と似た価値観を持つ人たちと出会え、いま自分が興味のあるもの全てが詰まったこのツアーを知ったとき、行くしかない! と強く思った。
豊かな自然の中で自分と向き合う時間を持ちたい。いつかは自分でもリトリートツアーを企画・運営したい。そのヒントを求めて参加を決めた。普段から玄米菜食を中心とした食事をしているけれど、旅先での3日間を完全にプラントベースで過ごすのは初めての経験。個人ではなかなか手配できない貴重な体験の数々に、価格以上の期待を胸に膨らませていた。
知らない人たちとの旅の経験もこの数年で増え、共通の価値観や興味があればすぐに打ち解けられることはわかっていたものの、はじめましての瞬間は緊張するもの。華子さんの人柄やコミュニティの温かい雰囲気を感じて、この人たちとなら安心して新しい体験ができそうと、すぐに心配は吹き飛んだ。
森が教えてくれた「循環」という名の豊かさ
森の中をフォレジング(野生の食用植物を採集すること)しながら里山を登る
滞在の2日目、離山(はなれやま)にある野草園を訪ねた。軽井沢の地の野草を救済して、サンクチュアリのような場所を作りたいという思いで始まったプロジェクト。運営するTOGEは「人・自然・人工物」が織り混ざった暮らしを探求している。野草園をつくるにあたり、戦後、人工的に作られたカラマツ林を切り開いた。間伐によって光が差し込むことで、それまで影になっていたところに光が落ち、地中で何十年も眠っていた種が目覚めていくのだ。このシードバンクという自然の仕組みは、まさに生命の神秘そのもの。土地に刻まれた時間の深さに思いを馳せた。既存の木を切り倒すという一見破壊的に見える行為が、実は新しい生命の誕生を促している。人の適切な介入によって自然がより活性化する。これこそが本当の循環なのかもしれない。
野草園の休憩小屋としてつくられた東屋は、浅間石とカラマツで構成されている。この組み合わせはまさに土地の素材を活かした美しい調和だ。小屋の屋根は植物が植生した草屋根になっており、この土地の土を被せて自然発芽させた緑の屋根は「生きた屋根」だ。人の手で植えたのではなく、土地自身が選んだ植物たちが屋根を彩っている。「土地の記憶」そのものが屋根になっても息づいているのだ。なんて詩的で美しい光景なのだろうか。
小屋を下から見上げると独特の存在感を放つ。小屋の中から外をみると、目線の高さで野草と対峙できる。上から小屋を見下ろすと草屋根がカモフラージュとなり森に溶け込む。人間中心の見方から視点を転換させてくれる体験だった。まるで「人間も自然の一部である」ということを空間そのものが語りかけてくれているようだ。「自然を見る」ことから「自然の中にいる」ことへの意識の転換。時が経つにつれ、小屋はますます風景に溶け込み、どんどん昔からそこにあったかのような佇まいになっていくのだろう。現代人が忘れがちな自然との一体感や時間の流れを取り戻せる場所だった。
「清め箸」に込められた祈り――料理人が紡ぐ「もてなし」の美学
半年間の邪気や汚れを祓う行事「夏越大祓(なごしのおおはらい)」をテーマにした一品。大将の書とともに、庭のサツキ、川の砂利が料理を彩る
自然の循環を体験した後、その恵みを最高の形で表現する懐石料理「くろいわ無二」を訪れた。席に通されると、目線に広がる緑の風景。川のせせらぎをBGMに、夜が更けると共にライトアップされていく外の様子も非日常感を演出する。
最初に驚いたのは、箸が湿っていたこと。少しひんやりとしていて、手に触れる感触もやさしい。聞いてみると、この箸は「清め箸」と「湿り箸」という二つの呼び名があるという。予約の1時間ほど前から吉野杉でできた最高峰の箸の先端を水に浸すそうだ。お茶席では「いらっしゃいませ」と大きな声で言うのは良くないとされているので、こうした箸で「お待ちしていましたよ」という気持ちを表現する細やかな心配り。店側と客が一体となって一つの席を盛り上げようといった意味が込められたこの粋な風習も、いまは料理人ですら知らない人が多いのだそうだ。だから「大将、清め箸ありがとうね」なんて言われると嬉しいと語ってくれた。
手際の良い調理風景、巧みな話術や店の設えから演出まで、カウンター席での体験はまさにエンターテイメント。「料理人は料理ができて当たり前、大切なのは、その先にあるもの」。大将の言葉が心に響いた。今回はプラントベースで特別に組み立てた懐石料理を堪能した。制約があるからこその創造性。想像がつかなかったけれど、肉や魚がなくても満足度が高く、お腹いっぱい食べても重くない。軽井沢を訪れるたびに足を運びたくなる名店だった。
それぞれの一歩――背景の違いを超えて見つけた共通の願い
今回集まった女性たちは「プラントベースの食」という同じ関心ごとはあれども、バックグラウンドも年齢も置かれた環境もさまざま。でも共通するのは、「自分のための時間」「自然を感じる時間」が必要だと潜在的にわかっていたということ。「参加する」という一つのハードルを超えたその先に、次の行き先、明日への希望をみんなが持ち帰った。期待と不安が入り混じった表情をしていた彼女たちは、帰る頃には清々しく晴れやかな表情に変わっていた。
私は普段の生活では交わることのなかった家庭的で女性的な柔らかいエネルギーに触れたことで、いつの間にか自分自身に設けてしまっていた制限や思い込みに気づき始めた。より良く生きるために必要な学びに繋がる今回の旅は、私にとってこのタイミングで必要なものだったと実感した。
知的好奇心を満たす旅は、きっと良い旅だと思う。環境、料理、伝統、歴史、健康、季節、心、在り方……さまざまな要素を感じたままに受け取る時間。五感をフルに使うことで、モノでは満たせない体験が人としての気づきを深めていく。だから私は「観光」だけにとどまらない「旅」が好きだ。
自分のための時間をとること、自分と向き合い、自分を知る。一人で行くリトリートも良い。でも誰かと行くから気づくことができる旅がある、それを実感する3日間だった。私はこれまでも自分のための時間を大切にしてきた。それは自分が満たされることで生まれる循環や尊さを知っているからだ。でもそこにハードルを感じている人が世の中にはまだまだたくさんいる。そんな女性たちに軽やかな一歩を踏み出してもらうために、私は微力ながらも旅の記事を書いているのかもしれない。
そして、肝心の食事について。これまで旅行中は食べる量も多く、重たい食事を摂りがちで、後半になるにつれ少々胃腸はお疲れ気味……なんてことも多々あった。旅先での食事をプラントベースだけで過ごすのは初めてだったが、植物性だからこその素材を活かした繊細な味付けに、「プラントベースでも大丈夫」ではなく「プラントベースの方が良い」と感じた旅だった。次の旅行では、ヴィーガンメニューをリクエストしてみようかな。
3日間を共にした席札は、さまざまなハーブや花の種が漉されている。土に還り、発芽した芽を見るたび、私たちはこのリトリートから持ち帰った思いに心を寄せるだろう
なぜ私たちは、わざわざ日常を離れて「リトリート」を求めるのだろう。忙しい毎日の中で見失いがちな何かを、取り戻そうとしているのではないだろうか。この旅で改めて感じたのは、「特別な場所」に行かなくても、日常の中に小さなリトリートの時間を作ることはできるということ。“わたし”を生きるために大切なのは、立ち止まり、自分の内なる声に静かに耳を傾ける勇気なのかもしれない。














