「街を置き去りにしちゃいけないんだ」。マリオ・ベリーニの建築思想と「ピーマン通りの肉詰め」秘話
南アルプス連峰、八ヶ岳、富士山に囲まれた標高約1,000メートルの土地に位置するリゾナーレ八ヶ岳。広大な敷地には、世界的建築家のマリオ・ベリーニが、訪れる人々が地上のどこよりも安らげる空間を目指し築いた街並み「ピーマン通り」がある。現在は1階に雑貨屋や飲食店、2階に客室を備え、年間10を超える四季折々のイベントが開催されるメインストリートだ。2001年のリゾナーレ八ヶ岳の運営開始直後、約160メートル続く石畳の回廊はどこか静けさを感じさせていた。マリオ・ベリーニが描いた街は、どのように誕生し、立ち止まり、今へと続いてきたのか。街の変遷を辿ると、そこにはほろ苦い「ピーマン通りの肉詰め」の歴史が見えてきた。
目次
「空っぽ」の回廊から人の息遣いを感じられる街へ
リゾナーレ八ヶ岳全景。南東から北西に続く回廊の先に、ホテル棟が交わるように設計された。
世界中に名建築を生み出してきた建築家のマリオ・ベリーニ。彼はリゾナーレ八ヶ岳の約7.5ヘクタールにも及ぶ広大な敷地に、人々が滞在しながらあたかも旅をするように感じられる要素を集約させた。円形型のゲートをくぐり抜けると、最初に展開される緩やかな上り下りのある回廊。約160メートルの石畳の回廊は旅の起点であり、人々が行き交う「街」として設計された。
開業当初のピーマン通り。前身のホテル営業時は1階まで全て客室が並んでおり、客室に向かうための通路としてだけに活用されたため、行き交う人も少なくがらんとしていた。
「ピーマンってなんだよって社内では大反対されましたね」。そう振り返るのは2001年、「ピーマン通り」の立ち上げを担当した丹澤だ。前身のホテルから星野リゾートが運営を引き継ぐと、空っぽだった回廊に人々が行き交うショッピングストリートを作ることを任された。街の名前は「ピーマン通り」。好みが分かれる野菜でありながら、誰もが一度で覚えられるキャッチーさとインパクトを選んだ。スタイリッシュな建物とのギャップに社内では反対意見も多かったが、「レタスやトマトと言われてもインパクトに欠けるでしょう。インパクトあるネーミングでとにかく覚えてもらうことがスタート地点だったんです」。ピーマンのように色鮮やかで個性豊かな街にしよう、空っぽな回廊にピーマンの肉詰めのようにアイディアを詰め込もうと社内を説得し、なんとか街の開発が動き出した。
当時を振り返る丹澤。「成功の法則はわからないけどとにかくハングリー精神で始めました」。
「街を預かったからには絶対に認めてもらいたいじゃないですか」。どんな街を作るのか。海外の朝市を調べ尽くし、軽井沢から伊勢神宮のおかげ横丁まで、全国各地に視察で飛び回った。なかでも目をひいたのは、道の駅やスーパーで見かけた観光客の姿。「分かりやすいお土産の箱菓子ではなく、地元のジャムや漬物を手に取っていくんです。リゾナーレ八ヶ岳の回廊にも、暮らしに根付いた街が求められていると思いました」。理想としたのは、訪れる人が憧れを抱く豊かな生活感と人の息遣いが感じられる街。これは「人々が行き交う街」というベリーニの思想とも重なった。「そんな街がこの建築にも似合うだろうというのが、当時のメンバーの共通認識でしたね」。
しかし、実績のない街へのテナント交渉は難航を極めたという。「出店してほしい店をリストアップして話に行ってみましたが、最初は全く相手にされませんでした」。前身時代に取引のあったお店に頼み込んだり、飛び込み営業を重ねたりと泥臭く店舗を集めた。同時に季節のイベントを手探りで企画し少しずつ街の形を作っていった。
2003年頃のピーマン通り。取引のあったお店や自社運営のお店を集めてトライアルを行った際に「お客様はこの街を楽しんでくれるはず」と確信したそう。
丹澤が手ごたえを感じたのは、街の開発から数年後。色鮮やかな花の絨毯がピーマン通りを彩る春のイベント「回廊の花咲くリゾナーレ」を開催して2回目の2006年だった。「お客様が花を眺めながらコーヒーを飲んだり、買い物を楽しんだりしているのを見ていたら、『今年もこれを楽しみに来たの』と聞こえてきて、その時はもう感無量でしたよ。春の訪れと共に鮭が川に戻ってくるみたいに、人が街に戻ってきて、人の息遣いを感じられる街になってきたことを実感できました」。
大盛況のイベントから感じた街への違和感
ピーマン通りでにこやかに話す増田。山梨県出身で、前身のホテルにもよく家族で遊びに来ていたという。
「とにかく1年間絶え間なくイベントを開催して、来てくれた人にいつでも街を楽しんでほしいと思っていたんです」。立ち上げから約20年後の2024年、19の個性豊かなショップで賑わい、様々なイベントが開催されるようになった街で、増田は新イベント「回廊の葡萄フェスタ」の企画を任された。
2024年に初開催した「回廊の葡萄フェスタ」。実際に吊るされた葡萄のフラッグ。「京都の街並みにビビットカラーの屋根とか、地中海沿岸に日本の漁船とか、大げさに言うとそういう違和感です」(増田)
「もともと9月はイベントのない空白期間でした。そこで八ヶ岳の秋の楽しみ方を提案しようと葡萄に着目したんです。生産地ならではの品種の多さという魅力にこだわり、1粒から味わえるワゴンや3種のモンブランを提供しました。街の装飾も葡萄の品種ごとのカラフルさを表現したフラッグを採用したんです」。実際にイベントが始まると想像を上回る反響を呼び、キッチンカーでの売上も過去最高を記録。
賑わいの裏で増田の胸には小さな違和感が芽生えていた。「通りに立った時『やってしまったかもしれない』と。葡萄のカラフルなフラッグが街から浮いているように見えました。広い空間を埋めることと写真映えにとらわれてしまったんだと思います」。一度、街のあるべき姿を見つめ直そうと、増田はチームを呼びかけ、急遽ミーティングを開いた。古い文献資料や昔のパンフレットを読み漁り、イタリアの都市の画像や街に似合う色見本をもちより、議論を重ねた。
マリオ・ベリーニは広い地域をあたかも旅しているように感じさせる要素を建物に集約し、歩くたびに視界が変わる「街の良さ」を設計していた。施設を取り囲む豊かな自然、絞り込まれたマテリアルと色彩による建築の調和。それらが時に切り取られた風景として心に印象づけられるという構造。3か月にわたる議論の末、導き出されたのは街の建築思想だった。「様々なイベントを生み出すなかで少しずつ、街との調和を忘れてしまっていたのだと思います。小さな違和感をきっかけに、20年越しに街の思想に立ち返ることができました。街を置き去りにしちゃいけないことを心に刻んだ瞬間です」。
これからも作り続ける「ピーマン通りの肉詰め」
ピーマンの肉詰めは、ピーマン単体では苦味が強い野菜だが、ジューシーな肉ダネとバランスよく調和することでお互いを引き立て、ピーマンという「器」に旨味をぎゅっと閉じ込めた料理。マリオ・ベリーニが築いたのは、広大な地域をあたかも旅しているように感じさせ、歩くたびに視界が変わる美しい回廊だ。しかし、建物が存在するだけでは魅力は存分には発揮されない。人々が行き交い、暮らしの息遣いが感じられて初めて「街」が完成する。イベントや装飾は、「器」である建築と調和し、美しさを引き立て、人の賑わいという旨味を生み出すものでなくてはならないのだ。丹澤や増田が街と向き合った時間はまさに「ピーマン通りの肉詰め」と言えるだろう。
マリオ・ベリーニはかつて、「現代を生きる人の感性に応える、モダンで独自の場所を作り出す必要がある」と書き残している。時代や訪れる人々が変わるなかで、街もまた変化し続けなければならない。「ピーマン通りの見せ方・イベントの在り方については議論ができたけど、これで決定というわけじゃない。今後も街が進化し続けていくなかで、街の在り方を議論し続けないといけないと思います」と増田も語っていた。ゴールのない「街づくり」。マリオ・ベリーニの建築理論を胸に、「ピーマン通りの肉詰め」はこれからも続いていく。
◆リゾナーレ八ヶ岳
住所:山梨県北杜市小淵沢町129-1
電話:050-3134-8093(リゾナーレ予約センター)
アクセス:中央自動車道「小淵沢I.C.」より約5分、JR中央本線「小淵沢駅」より無料送迎バス約5分










