【倉方俊輔の建築旅】山口県岩国市で「用・強・美」を感じる旅
建築史家の倉方俊輔が案内する、建築をきっかけにその街を新しい視点で見つめる「建築旅」連載。今回は山口県岩国市の建築を「用(よう)・強(きょう)・美(び)」という視点から訪ねてみましょう。
目次
伝統技術を駆使して“流されない”橋を考案した「錦帯橋」
日本三名橋の一つとされる「錦帯橋」
建築の本を開くと、ときおり目にする「用・強・美」という言葉。これは古代ローマの建築家・ウィトルウィウスが紀元前30年頃に著した建築書の中で説いた「utilitas(用)」「firmitas(強)」「venustas(美)」を翻訳したものです。いつの時代も、良い建築には実用性、強さ、美しさが備わっている。そんな普遍的な考え方として、明治時代に日本に伝わりました。
山口県を流れる清流・錦川にかかる「錦帯橋」を前にすると、「用・強・美」という理念を知る以前から、日本人がすでに3つの調和を体現していたことに気づかされます。
錦帯橋が誕生したのは江戸時代前期の1673年。1601年に岩国へ入った武将・吉川広家(きっかわひろいえ)は、錦川を天然の堀として活用し、川の両岸に岩国城と城下町を築きました。やがて戦の時代が遠のくと、両岸を結ぶ交通の必要性が高まり、本格的な桁橋が架けられます。しかし、洪水のたびに流失し、人々を苦しめました。そこで、中国の絵画に描かれた橋を参考にしながら、伝統技術を駆使して新たに考案されたのが錦帯橋です。この仕組みによって洪水に耐えることが可能となり、岩国の発展を支える存在となりました。
5つのアーチが連なる木造建築
錦帯橋の強さの秘密は、大きな距離を一気に架け渡すアーチ構造にあります。川の流れを受ける橋脚の数を減らし、石積みの4つの橋脚の間を世界でも珍しい木造アーチでつなぎました。両岸を含めて5つの連なりをつくる形は、合理性と優雅さを兼ね備えています。
その姿は背後の山並みや清流と響き合い、葛飾北斎や歌川広重の浮世絵にも描かれました。橋名の由来には、風景が錦の帯のように美しかったからという説があり、すでに江戸時代から全国的に知られる名所だったことがわかります。現代の私たちが見とれてしまうのも、実用性と強さが美しさと分かちがたく結びついているからでしょう。
5つ連なる曲線の中央3つが、木造アーチ構造になっている
たとえば、石積みの橋脚は下に行くほど太くなり、確かな安定感を与えます。その上に載る木造部分は対照的に軽やかで、曲線が波打つようなリズムを描き、自然の変化と調和しています。ヨーロッパの重厚な石橋とは違った感覚があります。
建造物において柱間に架ける水平部材の桁(けた)、V字形の木片や金属片の楔(くさび)、建物の水平方向にかけられる梁(はり)、棟に取り付ける棟木(むなぎ)などの部材を組み合わせた「錦帯橋式アーチ構造」により実現された
下から見上げれば、橋脚間およそ35mを木材の組み合わせで架け渡していることがわかります。錦帯橋は世界で唯一の構造を持つ木造アーチ橋です。木造ゆえに耐用年数があり、定期的に架け替えが行われましたが、17世紀に確立された仕組みは基本的に守られ、細部を改良しながら継承されてきました。その結果、1950年のキジア台風で流失するまで、実に276年間、一度も失われることなく人々の生活を支え続けたのです。
現在の錦帯橋は、1952年に再建された橋を、伝統を守って2001〜2004年に架けかえたもの。なぜ、戦後すぐの時代にもかかわらず、通常の鉄筋コンクリートではなく、木造で再建されたのでしょうか。それは錦帯橋が、日本の木造文化を示すと同時に「用・強・美」の思想に強く通じるものだったからと考えられます。建築の美しさは実用性と強さを伴っていなければならない。そうした考え方が戦後から高度成長期にかけて一般的になり、モダニズムの時代を迎えます。その時代に活躍した建築家・佐藤武夫の作品を次に見ていきましょう。
◆錦帯橋
住所:山口県岩国市岩国1
電話:0827-29-5107
戦時下の素材で工夫を凝らした「岩国徴古館」(1945年)/佐藤武夫
1945年3月に竣工したのち、1950年より博物館となった「岩国徴古館」
旧岩国藩主・吉川(きっかわ)家の居館跡に建つ「岩国徴古館」は、吉川家から寄贈された歴史資料や美術品を収める博物館として建設されました。着工は戦時中の1942年、完成は終戦直前の1945年3月。戦時下に建てられた民間建築として、全国的にも貴重な存在です。
低く押さえた外観、正面の角柱の列柱などが特徴
博物館という用途にふさわしい、岩国の歴史の厚みを感じさせる姿が、シンプルなデザインと簡素な素材でできあがっています。戦時中で物資が不足していたため、構造は煉瓦造で、軽石を成形した安価なタイルで仕上げています。ざらざらした表面が、装飾らしい装飾を持たないデザインと相まって、古代ローマの建築のような古典的な雰囲気を醸し出しています。
内部に入ると、柱は下に行くほど太い形で、これは構造的な強さを考えたもの。展示室の内部が白く塗られているのは、灯火管制の中、天窓からの自然光をできるだけ内部に巡らせようとした実用的な工夫です。ここでは「用」や「強」が、説得力のある「美」を生み出している様子を見ることができます。内部で連続する柱とアーチは気品も漂わせ、木製の階段は民芸的な趣です。
設計者の佐藤武夫は、軍人だった父が当地に着任していた関係で、岩国で旧制中学時代を過ごしました。その頃、建築を志したといわれます。時代の制約から生まれながら時代を超えた錦帯橋の記憶が、岩国徴古館を生み、その後の多くのモダニズムの作品につながったのかもしれません。
◆岩国徴古館
住所:山口県岩国市横山2-7-19
電話:0827-41-0452
音楽を奏でるように変化に富んだ「シンフォニア岩国」(1996年)/大谷幸夫
JR岩国駅から徒歩約10分のところにあり、アクセスが容易
続いて、JR岩国駅の近くに建つ「シンフォニア岩国」に向かいましょう。一転して、華やかに感じられるのではないでしょうか。クラシック音楽やオペラに対応した本格的なコンサートホールをはじめ、講演会や展示会などさまざまな用途に対応した文化施設として、1996年に開館しました。
隣の山口県岩国総合庁舎と一体となっていて、どちらも屋根の形が、音楽を奏でるように変化に富んでいます。外壁には色彩の異なるモザイクタイルが施され、内部に入るとタイルや大理石が貼り分けられている様子を見ることができます。
さまざまな装飾的なモチーフも見どころで、ホワイエの照明は金属のメッシュを丸めて、花を思わせる形をつくり出しています。壁に仕込まれたレリーフ、淡い色彩のカーペットなど、やわらかな美しさによって細部まで仕立てられた建築です。
これを手がけた大谷幸夫は、1966年に完成した「京都国際会館」の設計者として有名です。日本のモダニズムを代表する建築家・丹下健三の右腕として、戦後復興を担った「広島平和記念資料館」などを担当した後に独立、自らの個性を開花させた建築家です。
京都国際会館で使われているのと同じ波文様のカーペットが、シンフォニア岩国でも使用されているという縁もあります。それに加えて、敷地が岩国基地や鉄道に近い場所であるだけに、建築の実用性には最大限の注意が払われました。通常の外壁や屋根の外側に、もう一層の壁を設け、外からの音を遮断するようになっています。
岩国の文化拠点として、強く建ちながら、閉鎖的な印象を与えないようモザイクタイルなどで彩り、親しみやすい美しさを与えているのです。「用・強・美」のモダニズムを担った建築家が達した境地に、岩国で接することができます。
◆シンフォニア岩国
住所:山口県岩国市三笠町1-1-1
電話:0827-29-1600
おわりに
山口県岩国市は、城下町としての伝統を残しながら、近代の変化を受け止めてきた街。だからこそ、「用・強・美」のバランスが時代によってどのように変化したかも知ることができます。ぜひ建築の視点で、岩国を歩いてみてください。














