【滋賀】豊臣兄弟の姉・ともの祈りを訪ねて。秀次の城下町・近江八幡を歩く
歴史や伝統に触れる旅が大好きな、旅色LIKESライターの長月あきです。NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、秀吉・秀長兄弟が天下へと歩みを進める姿が、描かれ始めました。一方、二人の周りで同じ時代を懸命に生きた人たちにも、それぞれの人生があります。
宮澤エマさんが演じる姉・ともも、そんな一人。弟たちの華やかな出世の陰で、時代の波に翻弄されながら生きた女性です。今回は、ともにゆかりのある滋賀県・近江八幡を訪ね、彼女の人生にそっと触れる歴史旅をご紹介します。
目次
弟たちが天下を動かす陰で、豊臣家の栄光と崩壊を見届けた姉・とも
著者作図
ともは秀吉・秀長の姉として尾張中村(現在の愛知県名古屋市)に生まれました。幼いころの貧しい暮らしを弟たちと分かち合い、やがて天下人へと駆け上がっていく、兄弟の栄光の始まりから豊臣家の終焉に至るまでの全てを、家族として静かに見届けた人物です。彼女には三人の息子(秀次・秀勝・秀保)がおり、子どもがいなかった秀吉・秀長の後継者候補として、それぞれ養子に迎えられます。しかし、弟・秀長の死後、秀勝・秀保も相次いで早世。さらに秀吉の後継者と目された長男・秀次も、謀反の疑いで秀吉の命によって自害に追い込まれます。その際、秀次の妻や子、つまり、ともにとっての孫の多くも無残に処刑され、夫・三好吉房は流刑となりました。事件ののち、秀次やその家族の菩提を弔うため、ともは出家し、弟・秀吉の死、大坂の陣による豊臣家の滅亡までの全てを見届け、九十歳を過ぎてからその生涯を閉じました。
ともの長男・秀次が築いた町並みが残る近江八幡
八幡堀
近江八幡は、ともの長男・秀次が18歳で領主に任ぜられ、八幡山城下に開いた城下町です。同じ近江八幡市内にある織田信長の安土城が本能寺の変で落城した3年後、安土城下の人々を移して町が開かれたといわれています。秀次が八幡山城にいたのはわずか5年ほどでしたが、秀次の築いた城下町の骨格や、八幡堀に象徴される水辺の景観がいまも残っています。
琵琶湖と城下を一望する八幡山へ
八幡山城は琵琶湖を望む八幡山に築かれた山城です。秀次が愛知県の清洲城へ移った後、京極高次(※1)が入城しましたが、後に秀次が切腹に追い込まれると、秀吉の命によって城は破却され、築城から約10年で廃城となりました。山城と聞くと身構えますが、八幡山は低山なので登山口から山頂まで歩いても約40分です。ロープウェーなら山頂まで約4分で到着し、降りてからの道も段差はあるものの、歩きやすく整備されています。山頂は約30分で一周できるくらいの広さです。
※1京極高次:安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した武将・大名で、若狭小浜藩の初代藩主。名門・京極氏の出身で、豊臣政権下で大津城主として地位を高めた。関ヶ原の戦いが迫るなかで東軍(徳川方)に与し、大津城に籠城して西軍を引きつけた功績により、小浜8万5千石を与えられた。
ともの祈りが残る 「村雲御所瑞龍寺(むらくもごしょずいりゅうじもんぜき)」
ロープウェーを降りて7,8分歩くと、八幡山城の本丸跡に建つ村雲御所瑞龍寺門跡に到着します。秀次切腹ののち、ともは出家し、瑞龍院日秀尼(ずいりゅういんにっしゅうに) と名乗り、秀次や一門の菩提を弔うため京都に寺を創建しました。これが瑞龍寺門跡の起源とされています。瑞龍寺は、皇女や公家の女性が代々門跡(住職)を務める、日蓮宗で唯一の門跡寺院で、1961(昭和36)年に現在の場所へ移築されました。山頂にありながら、思ったよりもゆったりとした寺内で、特に印象的なのが、庭園に面した渡り廊下です。壁面には現代アーティスト・木村英輝さんの壁画が描かれ、お寺でありながらどこか“アート空間”のようです。
さらに渡り廊下を奥へ奥へと進むと、琵琶湖や比良山系の眺望を窓から望むことができます。この八幡山から広がる湖と山々の景色を、かつてこの地に城を構えた秀次も目にしていたことでしょう。ともが、この風景を見たことがあったのかどうかはわかりませんが、静かな寺の中で景色を眺めていると、我が子や孫を想ったともの祈りが、今もそっと息づいているように感じられます。
◆村雲御所瑞龍寺門跡
住所:近江八幡市宮内町19-9
電話番号:0748-32-3323
拝観時間:9:00~16:30
拝観志納金:600円
湖と山を望む八幡山城跡散策
瑞龍寺を後にして、山頂エリアをゆっくり散策します。城の遺構としては、いくつもの曲輪(くるわ/土塁、石垣、堀などで周囲を区画した平坦地のこと)と石垣が残り、往時の姿をしのばせます。曲輪ごとに異なる景色が広がりますが、なかでも西の丸址(※2)から望む琵琶湖とその向こうに連なる比良山系(※3)は見逃せません。
山頂と瑞龍寺をあわせて巡って、およそ1時間ほど。この日は下山の際にも、ロープウェーを利用しましたが、「八幡公園ルート」から徒歩で下山するのもおすすめです。約30分で到着するふもとの八幡公園には、近江八幡の町並みを見守るかのように、秀次の像が静かに佇んでいます。
※2丸址:主に城郭において、「◯◯丸(まる)」などと呼ばれた曲輪の跡地を指す言葉。城の主要部分(本丸、二の丸など)や、防御施設が置かれていた区画の跡を意味する。
※3比良山系:滋賀県西部、琵琶湖の西岸に沿って南北約20kmに連なる山地。最高峰の武奈ヶ岳(1,214m)を中心に1,000m級の山々が連なり、京阪神からアクセスしやすい「関西のアルプス」として登山・ハイキングに人気がある。びわ湖バレイなどのレジャースポットや近江八景のひとつ「比良の暮雪」でも知られる。
◆八幡山城跡
住所:八幡市宮内町
電話番号:0748-33-6061(近江八幡駅北口観光案内所)
近江八幡旅の定番! 「たねや 日牟禮乃舍(ひむれのや)」のつぶら餅で一息
ロープウェー乗り場周辺は、日牟禮(ひむれ)八幡宮を中心に、滋賀を代表する和菓子店・たねや 日牟禮乃舍や、洋菓子で人気のクラブハリエ 日牟禮館などが集まる、近江八幡観光の中心エリアです。創業150年以上の歴史を持つ老舗・たねや 日牟禮乃舍で小豆茶とつぶら餅を味わうのが、私の近江八幡での定番コース。たこ焼きほどの大きさのつぶら餅は一見おまんじゅうのようですが、香ばしく焼き上げた薄いお餅の中に粒あんが詰まった逸品です。寒い時期にはぜんざい、夏にはかき氷など季節毎の甘味も楽しめます。
◆たねや 日牟禮乃舍
住所:近江八幡市宮内町日牟禮ヴィレッジ
営業時間:9:30~17:00(食事11:00~15:00)
定休日:無休
八幡堀と新町(しんまち)通り、秀次の城下町散策
秀次は、近江八幡の城下町を自由商業都市として発展させるべく、信長が安土城下で行った楽市楽座(※4)を取り入れました。近江商人(※5)のふるさととして知られる古い町並みは現在、国の重要伝統的建造物保存地域になっています。秀次によって造られた八幡堀や伝統ある通りは風情たっぷり。近江商人の屋敷跡が多く残る新町通りには、近江八幡市立資料館をはじめ、旧西川家住宅(※6)など見学可能な建物がいくつかあります。
※4楽市楽座:戦国〜安土桃山時代に、信長らが商業を活性化し城下町を発展させるために進めた「自由に商売できる仕組み」のこと。座(同業組合)の独占特権をなくし、市場を開放したうえで、関所の撤廃や税の免除など中世的な規制を取り払い、自由な売買を保障した。
※5近江商人:近江商人は、江戸時代から明治にかけて滋賀(近江)を拠点に全国を行商した商人のこと。
「三方よし(売り手・買い手・世間)」を大切にし、誠実な商いで信用を築いた。この考え方は現代のCSRにも通じるとされる。
※6旧西川家住宅:江戸時代中期の近江商人の暮らしを今に伝える代表的な商家で、国の重要文化財。蚊帳や畳表を扱った「大文字屋」の3代目が、1706年(宝永3年)に建てた邸宅で、現在は、市に寄贈され一般公開されている。
ちなみに、近江八幡には明治末期に来日し、この風情ある町並みの中で生きたウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した西洋建築も数多く残っています。見どころが多すぎて何度も訪れたくなる町です。
おわりに
八幡山からの眺望、瑞龍寺の静けさ、そして水辺の町並み。近江八幡には、豊臣家の栄光と悲劇のはざまに立った秀次の面影と、秀次の母であり、豊臣兄弟の姉でもあるともの祈りが残っています。歴史の表舞台では多くを語られていないからこそ、静かな寺や城下町の風景に身を置くと、愛する人々の悲劇を見届け、それでも生きていくしかなかった彼女の長い長い時間に思いが及び、静かな余韻が胸に残ります。大河ドラマと一緒に、秀次の時代とともの祈りに思いを寄せながら、近江八幡の城下町さんぽに出かけてみませんか。
















