
2026/10/15
瀬戸内海にぽつりと浮かぶ、呉・御手洗。江戸時代に「潮待ちの港」としてにぎわい、時代の波とともに静寂を取り戻したこの町には、奇跡的に遺されたレトロな町並みが広がっています。歴史ある神社や劇場に加え、近年は海を望む古民家カフェやサウナなど、新たな癒やしのスポットも誕生。新旧が心地良く響き合うノスタルジックな港町で、時間を忘れて過ごす大人の贅沢な休日をご案内します。
この記事の目次
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広島県呉市の市街地から車を走らせ、安芸灘大橋を渡る。そこから始まる「安芸灘とびしま海道」は、本州と瀬戸内海に浮かぶ7つの島々を橋で紡ぐ、美しき海の道だ。

この日は残念ながら雨
紺碧の海とそこに浮かぶ青々とした島影を両脇に眺めながら、橋をひとつ、またひとつと渡るにつれて、日々の忙しない時間の感覚が少しずつ遠のいていくのを感じる。
ドライブの終着点近く、大崎下島の東端に位置するのが「御手洗(みたらい)」の町だ。車を降り、足を踏み入れた瞬間にふわりと鼻腔をくすぐる潮の香りと、静寂のなかに響く波音。木造の古い家々が身を寄せ合う狭い路地へ歩みを進めると、まるで昭和、あるいは江戸の時代へとタイムスリップしたかのような静けさが町全体を包み込んでいる。ここには、都会の喧騒とも観光地のにぎやかさとも異なる、穏やかで濃密な「時」が流れている。
御手洗の歴史が動き出したのは江戸時代の中期、1666年頃のこと。航海技術が未熟だった当時、瀬戸内海をゆく船にとって潮の流れと風の向きを読むことは命に関わる一大要素だった。

御手洗は、瀬戸内海のほぼ中央に位置し、天然の良港として「潮待ち・風待ち」をする船が憩う絶好の寄港地となった。人が集い、物が集まることで文化も急速に発展を遂げる。町は人と言葉と物資が交錯する一大拠点となった。
港の発展に伴い、長い航海を終えた船乗りたちの羽を休める場所として花街が開かれた。御手洗には「若胡子屋(わかえびすや)」をはじめとする巨大な茶屋が建ち並び、数多くの遊女(おちょろ舟の女たち)が抱えられていた。

現在修復作業中のため、見学不可(2026年10月15日時点)
夜になれば提灯の灯りが海面に揺れ、三味線の音色が響く西日本有数の色町・不夜城としてその名を馳せた。
その華やかさと隠れ家的な立地は、やがて幕末の政治の裏舞台ともなった。幕府の目を逃れるように、坂本龍馬をはじめとする幕末の志士たちや公家、各藩の重鎮・士官たちがお忍びでこの地に集い、密談を重ねたという。時代の大きなうねりを見つめ、歴史を動かすエネルギーを密かに育んだのも、この艶やかな港町だったのだ。
しかし、栄華を極めた御手洗にも時代の波が押し寄せる。明治以降、蒸気船や動力船が普及すると船は風や潮を待つ必要がなくなり、港湾としての機能は急激に低下。そして昭和33年(1958年)、決定打となった「売春防止法」の全面施行により、江戸から続いていた色町としての歴史は静かに幕を下ろした。
遊郭の灯りは消え、人通りも絶え、かつてのにぎわいは嘘のように去っていった。しかし、それこそが奇跡の始まりとなる。陸路もなく「孤島」として時代に取り残されたからこそ、高度経済成長期の再開発や近代化の波を免れることができたのだ。
江戸の町家、明治のモダン建築、大正の洋風邸宅、昭和の木造劇場――。過度な改修を免れた御手洗は、時代の層が重なったまま奇跡的に“真空保存”された。現在では国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、往時の物語を今に語り継いでいる。
町の守り神として鎮座する天満神社。学問の神様・菅原道真公が大宰府へ左遷される途中にこの地に立ち寄り、手を洗って旅の安全を祈願したという伝承が、この「御手洗」という地名の由来とされている。
境内の奥には、くぐり抜けると願いが叶うと言われる「可能門」や、格式高い手水鉢が静かに佇み、静謐な信仰の歴史を物語っている。

旧柴屋住宅
江戸時代の豪商であり、御手洗の町年寄を務めた高橋家(屋号 柴屋)の別宅の一部。文化3年(1806年)に伊能忠敬が日本地図作成の全国測量の際に宿舎として滞在した場所としても知られている。

洗練された江戸町家の建築意匠や、屋敷の奥にひっそりと広がる美しい庭園は、かつてこの地を訪れた多くの要人や文人墨客を癒やした風情を今なお色濃く留めている。

幕末、長州藩と広島藩の間で密約(御手洗条約)が交わされたと伝わる歴史の舞台。重厚な構えの町家建築には、激動の幕末期に歴史を動かす人々が行き交った緊迫感と、秘められたロマンの余韻が静かに漂う。
昭和12年(1937年)に建てられた木造の劇場「乙女座」。色町としての役割を終えつつあった町に、新たな大衆娯楽の場として誕生したハイカラな建造物だ。館内に足を踏み入れると、花道や二階の桟敷席、モダンな意匠が施された天井が広がる。戦後は映画館としても親しまれ、昭和のぬくもりと当時の人々の歓声がそのまま染みついているかのようなノスタルジーに浸ることができる。
江戸や昭和の面影を残す木造建築をリノベーションし、現代に活かす取り組みが進む御手洗。往時の情緒に新たな風を吹き込んだ、心地良い寛ぎのスポットをご紹介します。
江戸時代、大洲藩・宇和島藩指定の「船宿」として要人を迎えていた由緒ある木造建築をリノベーションした「船宿カフェ 若長」。
2階の客席に上がれば、手すり越しに穏やかな瀬戸内海が一面に広がる。潮風を感じながら、地元産の柑橘を使ったドリンクや甘味を味わう時間は格別だ。かつて船乗りたちが潮の満ち引きを待った同じ窓辺で、ただ海を眺める贅沢な時間を堪能したい。
かつて色町(新地)として最もにぎわいを見せたエリアの先端、海へと突き出た場所に位置する「サウナ新地鼻」。歴史ある町並みと現代のウェルネス文化が融合した注目のスポットだ。木の香りが漂うサウナ室で心地良い汗を流した後は、目の前に広がる瀬戸内の海を眺めながらの外気浴。いにしえの旅人が旅の疲れを癒やしたこの場所で、潮風に包まれながら深く心身を整える体験は、大人の旅にふさわしい至福のひとときとなる。
御手洗を擁する大崎下島は、日本有数の柑橘の産地。なかでも歴史ある「大長(おおちょう)みかん」や、太陽を浴びて育ったフレッシュな国産レモンは島の誇りだ。
散策の合間に立ち寄る商店やカフェでは、生搾りのレモンスカッシュや濃厚な柑橘ジュース、さわやかなレモンタルトなどが味わえる。先ほど紹介した船宿カフェ 若長でも地元の食材を使ったメニューを提供している。
一口含めば、甘酸っぱい香りと爽快感が口いっぱいに広がり、旅の疲労を優しく解きほぐしてくれる。
御手洗の町を散策していると軒先に一輪挿しが。
最初はすてきなお宅だなと思っていたが、どこのお宅にも一輪挿しが。実は御手洗の女性たちのグループが町内40カ所を分担して毎朝欠かさず飾っているそうだ。
町を彩る花は、御手洗の町内にある花壇で、種から育てられている。
少しずつすべて違うけども、どれも温かみがあるのは共通。これもひとつのおもてなしであり、手仕事が表れていて御手洗が好きになった1番のポイントだった。
御手洗に来たら、ぜひ予定を組まずに町を散策してみてほしい。本記事のタイトルにもあるように時が止まってしまったかのようなレトロな光景を楽しめる。
その一部をご紹介。
潮を待ち、風を待つ――。かつて人々が自然の理に従って立ち止まり、憩った御手洗。色町の華やかな狂騒も、衰退による静寂も、すべてを受け入れてきたこの町には、時代を生き抜いてきた者だけが持つ包容力がある。
古い建物を慈しみ守り続ける地元の人々の暮らしと、その歴史に敬意を払いながら新たな息吹を吹き込むカフェやサウナ。それらが喧嘩することなく、まるで長年そこにあったかのように溶け込んでいる風景こそが、現在の御手洗の最大の魅力かもしれない。
スマホの時計を仕舞い、あてもなく細い路地にを迷い込み、海を眺めて一息つく。効率やスピードばかりが求められる日常から少し離れ、ただ「そこにある豊かな時間」を嗜む。そんな贅沢な大人時間を過ごしに、瀬戸内の潮風が渡る風待ちつの港町へ出かけてみてはいかがだろうか。
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記事企画・監修:旅色編集部 ふかい
ライター:ふかい