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日光東照宮にはさまざまな彫刻がありますが、中でも「見ざる、言わざる、聞かざる」の「三猿」は特に有名で、メイン観光スポットの一つになっています。近年、この三猿の修復が行われ、その顔の変化が注目を集めました。そこで日光東照宮の三猿について、その歴史や意味、そして修復による変化の理由などについて紹介します。
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日光東照宮と言えば 「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿 がよく知られています。日光東照宮に観光に行った方なら誰もが三猿を目にしていることでしょう。そこで日光東照宮の三猿の意味や歴史を紹介します。なお、こちらの情報は2023年12月時点のものです。実際に行く前にお店の公式HPなどで最新の情報を確認することをおすすめします。
日光東照宮の「三猿」というのは、 日光東照宮の神厩舎に施されているレリーフ です。 江戸時代初期に作られたもの と言われます。三猿とともに同じ日光東照宮にある「眠り猫」も日本のみならず、外国人観光客にも有名です。
日光東照宮の三猿は重要文化財 でもあり、歴史的にも価値があるものとされているのですが、そもそも三猿にはどのような意味があるのでしょうか。まずはその由来や意味について紹介します。
「見ざる、言わざる、聞かざる」という日本語のリズム感から、三猿は日本生まれのものと考えられがちですが、三猿というモチーフそのものは古代エジプト、アンコールワットなどでも見られると言われています。 シルクロードを経由して日本に伝わったという説 もあります。
では、三猿の「見ざる、言わざる、聞かざる」という言葉はどこから来たのでしょう。こちらも 「論語」の中にある「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」という言葉がもとになった と言われます。この言葉は8世紀ごろに留学僧の手により、日本に持ち込まれたとされるのです。
また、三猿が彫られている日光東照宮の神厩舎というのは、神様に仕える馬である神馬がいる場所です。陰陽五行説では、馬を災厄や病から守るため、猿を一緒に飼うという考えがあったそうですから、三猿もその意図から神厩舎に彫られたのかもしれません。
さて、三猿のもとになった「論語」の言葉をもう一度見ると、そこには「非礼勿動」という言葉が続いています。そのことから、中国やタイなど、一部の国ではもう一つ猿を加え「四猿」があると言われています。
この4番目の言葉は「見ざる、言わざる、聞かざる」と同じようないい方でいうと「せざる」(しざる)となります。この「せざる」の彫刻では、猿が股間を抑えている、つまり性的な戒めを表すという説があります。また別のものでは猿は鼻をおさえており、「匂わざる」を意味するという説もあるようです。
まり、 日光東照宮の三猿は「論語」に書かれた4つの戒めのうちの3つを具現化したもの ということになるわけですが、そうなると、なぜ4番目を外し「三猿」にしたのかという疑問がわいてきます。
この疑問に対する明確な答えは文献などに記載されているわけではありません。そこで、三猿になった理由として推測されている説をいくつか紹介しましょう。
そのいくつかの理由をまとめて一言でいうと 「ふさわしくないから」 ということになるでしょう。まずは「4」という数字に関するものとして、 「4」は「死」につながるから というものがあります。病院などで「4」号室を避けるというのを聞いたことがある方もいるのではないでしょうか。
また先ほど述べたように 「四猿」が「性的な戒め」 だというものもまた、日光東照宮という場所にふさわしくないという考えもあります。後で述べますが、日光東照宮は神様となった徳川家康を祀る場所であり、そこに飾られるものとしてこの戒めは不謹慎に感じるという向きもあるでしょう。
いずれにしても、四猿の「4」、そしてそれが表すものが、日光東照宮という「場」にふさわしいか否かという問題は、四猿ではなく三猿として彫刻された重要なポイントとなったと考えてよさそうです。
「三猿」がどのようなものかということについて紹介したところで、具体的に日光東照宮の三猿の歴史についても紹介していきましょう。先ほども述べたように、日光東照宮の三猿は重要文化財となっており、歴史的価値がある彫刻の一つにも数えられるものとなっています。
また、日光東照宮は 1999年、「日光の社寺」ということでユネスコの世界文化遺産に登録 されました。日光東照宮は世界的にもよく知られた日本を代表する寺院の一つであり、日光東照宮にある三猿もそれだけ広く知られています。
日光東照宮は1617年に創建 されました。前年の1616年に徳川家康が亡くなりますが、家康は生前、「一周忌を過ぎたら日光山に神として祀ること」そして、「八州の鎮守となること」を遺言していました。この遺言に沿って日光東照宮は作られました。
1617年4月、社殿が完成し、朝廷から家康は東照大権現の神号を授与され、この日光東照宮に「神」として祀られることになります。そして三代将軍家光による「寛永の大造替」により現在につながる荘厳な社殿が作られました。
日光東照宮の三猿が日光東照宮創建当時からあったかどうかは不明ですが、 現在の社殿はほとんどがこの1636年の大造替時に建立されている と言われます。仮にこの時に三猿も彫られたとすれば、江戸時代初期に作られた彫刻ということになります。
さて、日光東照宮の三猿の作者は誰なのでしょうか。日光東照宮の三猿の作者として名前が挙げられることが多いのが 「左甚五郎」 です。この人物は江戸時代の伝説的な彫刻職人で、同じ日光東照宮にある「眠り猫」の作者としても名前があがります。
しかしその反面、左甚五郎の作品は安土桃山時代から江戸時代後期まで約300年もの期間に及ぶことから、ひとりの人物ではなく、各地にいた名人たちの代名詞だったのではないかとする説があります。
日光東照宮の建立の際に、20万人にも及ぶ彫刻職人が集められたと言われているので、その中に「左甚五郎」がいたのかもしれません。またそのメンバーの中の複数人が「左甚五郎」なのかもしれません。
ところで、日光東照宮の三猿ですが、実は 神厩舎にある猿の彫刻の一部 なのです。神厩舎の三猿がある部分をよく見ると、建物を取り囲むようにぐるりと猿の彫刻があることに気づくでしょう。
では、日光東照宮の三猿には、「見ざる言わざる聞かざる」以外にどのような意味があるのでしょうか。またそのぐるりと囲んだ猿の彫刻は何をあらわしているのでしょうか。
日光東照宮の神厩舎をぐるりと取り囲むように彫られた猿は全部で8枚あります。この8枚は順番に見て行くと 猿の一生 になっています。三猿もそんな猿の一生のうちの幼少期をあらわすものなのです。
では、日光東照宮の神厩舎にある猿の一生とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。それぞれについて紹介していきましょう。
猿の一生のスタートは人間同様、赤ちゃんから始まります。日光東照宮の神厩舎に行ったら、まずは赤ちゃんの猿が描かれている彫刻を見つけましょう。ここが猿の一生のスタートとなります。母猿の横に子猿が座っているようなポーズになっています。
この部分は左側に座る母猿と抱き寄せられる子猿が、そしてたわわに実るびわの実が見えます。たわわな実りは 子猿の将来が実りあるものであってほしいという願い が描かれていると言われます。
また母猿は子猿を守りながら、額に手をかざし、はるか遠くを眺めているようなポーズをとっています。これも、 母猿が子猿の将来を見つめて おり、その先に見えるびわの実とともに、 子猿の明るく実り多き未来 をあらわしているのです。
次に登場するのが「三猿」です。三猿は先ほども述べたように「見ざる言わざる聞かざる」を表しているわけですが、猿の一生のステージでいうと、幼少期をあらわすものとされています。ですから三猿はまだ子供の猿なのです。
子供というのは、なんにでも興味を持つものです。そのようなことを考えて改めて三猿を見ると、 好奇心旺盛な子供が悪いことを「見ざる、言わざる、聞かざる」という様子 をあらわしていることになります。
悪いことを「見ざる、言わざる、聞かざる」ですくすく育つ子供の姿ですから、 良いことのみを知り、立派な大人へと育っていくという理想 をあらわすのが三猿ということになります。
一方で、三猿がまだ子供であるということを踏まえた場合、先ほど出てきた「四猿」の「せざる」はその内容として不釣り合いであるという解釈も当たっていると言えそうです。このこともまた、三猿が四猿ではない理由としてよく取り上げられています。
「三猿」の隣に描かれているのは、大きな木の下に一匹の猿が座っている様子を描いたものです。ここまで母と子や、三猿など、複数の猿が描かれていたのに、ここで一匹になっているということは、 「ひとり立ち」を意味 していると言われています。
ひとり立ちするということから、この猿は成長し、青年期を迎えた時期の様子とされます。人間の一生でも、高校を卒業し、進学や就職などで「ひとり立ち」をするという時期をイメージする方が多いかもしれません。
この場面の猿は座りながら独特な表情で遠くを眺めています。最初の場面のように母の庇護のもとにあるのではなく、自分で先を見つめ、立ち上がろうとしているように見えます。背を向けて固い表情で座る猿の様子からは、 これから進む未来に対する期待と不安が入り混じった様子 が伺えます。
続いての場面を見ると、先ほど一匹しか描かれていなかった猿が二匹に増えています。そしてその二匹の猿はいずれも上を向いていることがわかります。
こちらの場面でもう一つ注目したいのが、猿の右に描かれている雲です。雲は青く塗られています。これは 「青雲」 を表しているのです。場面としては青年から大人へと成長した時期を表していると言われます。
「青雲」というのは「青雲の志」を表します。青雲の志というのは立身出世を願う心のことを言い、特に若者が高い目標を立てる場合に使われます。前の場面で 未来を考え、青雲の志を持ち一歩を進みだす ということでしょう。
また、先ほどは一匹だった猿が二匹になっているということは、自分の選んだ道を一緒に歩く友ができたということを表します。 大きな志を持ち、友と一緒に努力する様子 が描かれた場面と言えるでしょう。
生まれて順調に成長し、青雲の志を持ち、それが実るのであればいいですが、人生というものはそうは簡単にいきません。いくら成功を収めている人間でも、それまでの過程では挫折したり、うまくいかなかったりすることがあるものです。
次の場面の猿を見ると、彫刻の縁に手をかけ、下をのぞき込む猿の様子が描かれます。この猿はどうやら、人生のがけっぷちに至っているようです。つまりこの場面は 「挫折」 を感じている様子なのです。
しかしこの下をのぞき込む猿の横には、背中に手を置きまっすぐ前を見る猿がいることがわかります。 挫折を感じ落ち込んでいる猿を慰める猿 が描かれているのです。
この場面は中央に大きな崖が描かれ、先ほど紹介した二匹の猿は左側に、そして崖の右側には、もう一匹の猿が描かれています。こちらの猿は崖に足をかけ、はるか向こうを眺めているようです。つまり、崖を飛び越え、先に進もうとしている様子なのです。
挫折を感じて落ち込む猿とそれを慰める猿、そしてそれを乗り越え一歩踏み出そうとする猿 を描くことで、 挫折をたくましく乗り越えて行く姿 があらわされていると言えるでしょう。そしてそこには 慰めてくれる友の力強い励ましが必要 ということでもあるのです。
次の場面には、また二匹の猿が登場します。右にいる猿はまたもや座り込み、何かを考えています。そして左の猿はその猿を見ずに、木に登っている様子です。どうやら先ほどまでの励まし合う友の様子とは違うようです。
実はこのシーン、 恋愛に悩むシーン なのです。どうやら右にいる猿は左にいる猿が好きなようですが、考え込んでいる様子を見ると告白できずに悩んでいるかのようです。
この二匹の猿はオスとメスの猿と言われています。右にいる猿は告白できずに悩んでいるというところからして、二匹の関係はまだ出会ったばかりなのか、距離感があり、ぎこちない様子で描かれています。
恋愛というものはいきなり親しくなるのではなく、このようなぎこちない関係のところから始まるものだとするならば、これもまた、人間の一生の重要なワンシーンの表現と言っていいでしょう。
次の場面の猿は二匹が寄り添っています。どうやら先ほどの二匹の猿はお互いに親しくなり、結婚できたようです。二匹が前を向き、並んで描かれています。
しかし二匹の目の前には青い波があります。これは荒波ということで 「人生の荒波」 をあらわしていると言われています。結婚はできたものの、まだまだ進む先には荒波が待ち構えていそうです。
しかし、その波の所をよく見ると、二匹の猿の手がその波をつかんでいることがわかります。これはその 荒波を二人で乗り越えて行く ということをあらわしていると言われます。そのせいか、二匹の猿の表情は柔らかく、決意に満ちたように見えます。
最後の場面では、一匹の猿が描かれているのですが、お腹が大きく膨らんでいることにすぐに気づくでしょう。つまりこの場面は、猿が妊娠した様子を描いています。 結婚して妊娠したこと を表していると言っていいでしょう。
妊娠した猿の姿が、日光東照宮の神厩舎の周囲に書かれた猿の一生の最後となります。次の場面はまた最初の赤ちゃん猿に戻るというわけです。生まれた猿はまたこの場面をたどるようにして一生を送ることになります。
このように、日光東照宮の神厩社の三猿は、三猿だけではなく、 ぐるりと猿の一生を見ることで一つのストーリー となっています。ぜひ三猿を見に行く時には、この8枚の彫刻を全部見ることをおすすめします。
さて、日光東照宮では、この三猿のほかに眠り猫の彫刻もよく知られていると述べました。実は日光東照宮にはこのほかにもたくさんの彫刻があります。三猿がある猿の一生の彫刻だけでも今述べたように全部で16体の猿がいますが、実はなんと 日光東照宮には5137体もの彫刻が存在 しているのです。
5137体も彫刻があるので、広い日光東照宮の中の彫刻をすべて見たいというのはなかなかにむずかしいことです。ここまで何度か出てきている「眠り猫」もそうですが、猿をモチーフにした彫刻はこの神厩舎のほかにも何カ所かあります。
中でも五重塔や本地堂にある猿の彫刻はよく知られています。神厩舎の三猿と共にこちらの猿の彫刻も見比べてみてはいかがでしょうか。
さて、日光東照宮では10年に一回程度のペースで修復作業が行われています。日光東照宮といえば絢爛豪華な色彩が魅力ですが、それはこまめな修復作業が行われているからなのです。
近年では 2017年に「平成の大修理」 ということで約半世紀ぶりに大がかりな修復作業が行われました。色や輝きが失われた部分を塗り直したり、どうしても腐朽しやすい木部を修復したりという作業が行われたのです。
ところがこの修復作業が終わり、きれいになった三猿がお披露目されたところ、「三猿の顔が変わったのでは」という意見が相次ぐこととなりました。
そもそも、日光東照宮は最初に述べたように、神となった徳川家康が祀られた場所です。 徳川家の威光を天下に知らしめる場 でもあるわけです。だからこそ、絢爛豪華な飾り付けを施し、20万とも言われる彫刻職人が集められたわけです。
とはいえ、日光東照宮は外にある建物ですから、日光や風雨により劣化します。そのため、日光東照宮では三猿を含めて、頻繁に修復をして美しさを維持してきました。
しかし江戸時代など、写真があるわけではありませんから、 塗りがはげた状態の三猿の元の顔を正確に再現することなど不可能に近い ことです。そのためどうやら、現在に至るまで修復のたびに顔が変わっているらしいのです。
今回の平成の大修理では、 「推定可能な範囲で、できるだけ昔の修理後の再現を」 というコンセプトのもと、昭和の大修理の際の「見取り図」をもとにして修復を行いました。といっても現在の色を全部落とし、最初から塗り直す(描き直す)ため、職人の筆遣いなどもあり、まったく同じにできることはありません。
またそもそも、 塗られた時の色味に近い状態というのは、それまで目にしている風化した状態のものよりも色がくっきりとして、派手な印象になりがち です。これもまた、修復を終えた日光東照宮の三猿に違和感を感じる理由の一つと言えるでしょう。
このように日光東照宮の三猿は、修復のたびに顔が変わっています。しかしそれはあくまでも学術的に許される範囲での変化であり、価値を損なうものではないのです。
このように、日光東照宮は見どころが多く、陽明門や三猿などの見どころをまわるだけでも十分に観光を楽しむことができます。そこで、さらに追加して楽しみたい観光スポットをいくつか紹介します。まずは「日光東照宮美術館」です。
日光東照宮美術館は日光東照宮の旧社務所「朝陽閣」で、 1995年から美術館として公開 されています。建物そのものも昭和初期に作られた近代和風建築で趣のあるつくりです。
日光東照宮美術館には、 横山大観をはじめとする巨匠が描いた日本画が展示 されています。さらに建物そのものにしつらえられた杉戸や襖といった調度品がそのまま美術品となっているため、建物まるごとを観賞することができます。
建物完成当時から国内随一のものと高い評価を受けており、内部には国賓が訪れた際に利用した「上段の間」などもあり、こちらの見学も可能です。
日光東照宮美術館
「日光山輪王寺」は、 日光山中にある寺院群の総称 で、近世までは輪王寺、日光東照宮、二荒山神社を合わせて「日光山」と呼ばれていました。明治時代の神仏分離令以降、「二社一寺」の「一寺」となっています。
766年、勝道上人により創建 され、鎌倉時代には関東の一大霊場となりました。そして江戸時代になると徳川家の庇護を受け、日光東照宮や三代将軍徳川家光の大猷院廟が建立されるなどして、その威光は今に伝わります。
輪王寺の本堂である 三仏堂は東日本最大の木造建築物であり、平安時代に創建 されたものです。現在の建物は 1645年に家光により建て替えられており、重要文化財となっているほか、世界遺産にも登録 されています。
また「輪王寺宝物殿」には日光山の多くの資料が展示されていて、さらに徳川家にまつわる貴重な宝物も見ることができます。江戸時代以来の日光山の威光を感じることができる境内の建物群も見逃せません。
輪王寺(日光)
「日本聖公会 日光真光教会」は日光山への西参道近くにあります。日光は明治時代から避暑地としても知られていました。 1899年、日光最初の洋風建築として礼拝堂が建てられた ことに始まります。
この建物を作ったのは、ガーデナー氏といい、宣教師であると同時に建築家でもありました。この方の手により、1916年、現在の建物が作られ、今に至っています。建物は栃木県の指定有形文化財にもなっています。
内部には 美しいステンドグラス があり、いつも荘厳な雰囲気に包まれています。また夏になると定期的に演奏会が行われ、多くの方々がその豊かな調べに耳を傾けます。
礼拝の際など、内部見学ができないこともありますので、行く前には問い合わせなどで確認することをおすすめします。
日本聖公会 日光真光教会
日光東照宮には三猿をはじめとする多くの見どころがあります。絢爛豪華で芸術生を感じるその様子は、徳川家の威光を今に伝えるものと言えるでしょう。ぜひ日光東照宮の数ある彫刻や建築をじっくりと堪能してみてください。
参考になりましたか? 旅行・おでかけの際に活用してみてください。
記事企画・監修:旅色編集部 おおもり
ライター:よしぷー