【広島・流川】広島県社交組合会長が語る、中四国最大の繁華街「流川」の昔と今とこれからと。

【広島・流川】広島県社交組合会長が語る、中四国最大の繁華街「流川」の昔と今とこれからと。

更新日:2024/12/25

中四国最大の歓楽街「流川(ながれかわ)」。賑わいの背景にある「流川」が乗り越えてきた波乱万丈の歴史と、これからを広島県生活衛生同業組合連合会会長佐々木さんに語ってもらいました。

広島の夜の代表的エリア「流川」の今

Q.今の流川について教えてください

流川は中四国最大の歓楽街と言われています。歴史ある歓楽街で、多くの飲み屋が軒を連ね、およそ2,800店舗が密集しています。最盛期は3,000~4,000店舗が密集していました。「街に出る」という感覚で地元の人も飲みに行くし、今は出張などのビジネスマンや観光客も多く来てくれています。リーズナブルな料金でボトルキープ出来るので、夜の時間を楽しめますよ。ちなみに、バーやスナックの事を広島では「スタンド」と言うんです。

Q.どうしても歓楽街、というと良くないイメージが……(苦笑)

(笑)ですよね。広島の夜の街=怖い、というイメージを持ってる方も多いと思います(笑)
でも安心してください。「ぼったくり」もないですし、「90分、ウイスキー・ビール・酒・おつまみ付き」で予算に応じて飲めるシステム「セット料金」がありますので、気軽に来店できます。
もちろん、ぼったくりを求めて行ったらダメですよ。もし、万が一、何かあったら流川には交番が2つありますので、どちらにもすぐに駆け込めます(笑)

Q.(笑)女性一人や女性同士で行っても大丈夫でしょうか?

もちろん、全く問題ないです!ぜひ、行って楽しんでください。今はスタンドにも女性のお客さん多いですね。

華やかさと過酷さをあわせ持った流川の過去

Q.安心しました(笑)流川がこのような歓楽街になった背景、歴史を教えてください。

「流川」の名前の由来は、広島市内を流れていた川にちなんで付けられました。江戸時代にはここに流れていた川が生活に重要な役割を果たし、商業活動の拠点として発展していきました。今はこの川は埋め立てられています。城下町が形成されるなかで、歓楽街としての性格を持ち始め、江戸後期には商業・飲食業が栄え、広島の社交場として多くの人が集まるエリアになりました。
明治維新後、歓楽街として急速に発展し、広島の代表的な遊郭や料亭街となり、新天地広場(現・新天地公園)では文化的なイベントが頻繁に行われ、芸者文化の中心にもなり、街全体が賑わいを見せていました。
その後、軍需景気の波に乗り、存在感はさらに強まり、高級料亭・遊郭が並ぶ広島のナイトライフの中心になりました。

出典:広島市公文書館所蔵

Q.街の中心にある新天地公園ですね。

はい。新天地公園は周りの歓楽街とは異なる静かな雰囲気を持ち、市民の憩いの場となっています。確か、ネコが12匹住んでるかな(笑)また、公園内には「紅桃花稲荷神社(べにとうかいなりじんじゃ)」(通称:とうかさん)があり、およそ320年前から商売繁盛の神様として、商人や地元住民から厚く信仰されてきました。歓楽街として栄えていたころは、商売繁盛を願う人々にとって、守護神のような役割も。
が、原爆で神社はもちろん、このあたり一帯が吹き飛びました……

Q.原爆ですね……

甚大な被害を受けましたが、地元住民たちの強い要望により協力しあって紅桃花稲荷神社再建を進めてきました。このエリアの戦後復興の象徴となり、商売繁盛だけでなく平和と繁栄を願う人々の祈りの場として親しまれています。神社の祠も数回移設されてきましたが、今は新天地公園内の一角にあり、歴史的背景と信仰の力強さを今に伝える場所として、敬意を持って大切に我々広島県社交飲食生活衛生同業組合が商売の神様として管理を委任されています。
毎年6月の第1金曜日から3日間行われる「とうかさん大祭」では浴衣の着初めの日としており、夏の訪れを告げる風物詩になってます。全国的に見ても、一足早く開催される夏のお祭りなので、ぜひ来てほしいですね。
このお祭り以外にも新天地公園で定期的にイベントを開催しています。音楽イベントを開催した時は、音が大きすぎて近隣から苦情が来てしまいましたが(笑)、街と一体になって、みなさんに楽しんでもらえるイベントを、と考え、試行錯誤しながらいつも開催しています。

Q.賑やかな過去、険しい過去、常に地元住民と一緒に乗り越えてきた、そんな背景のあるエリアなんですね。

戦後、広島の経済成長とともに、再び流川も活気を取り戻してきました。バーやナイトクラブといった飲食店が増え、戦前とは少し異なる新しい形で再び歓楽街として栄えるようになり、庶民的でカジュアルな雰囲気が強まったことから、より多くの市民が訪れるエリアとなってきました。
今、現在は国内外から多くの観光客も集め、昼夜問わず賑わうエリアです。コロナ禍の影響も受けましたが、再び活気を取り戻し、飲食業界の中心的なエリアとしても再評価されています。
お店に空きが出てしまっても、すぐに別のお店が入るんですよ。我々は、お店を出したい人にも出来る限り協力し、一緒に流川を盛り上げていっています。

時代とともに変化してきた流川のこれから

Q.新しい文化を取り入れながらも、レトロな雰囲気が残る街並みがとても素敵です。

今、抱えてる課題は建物の老朽化です。戦後の復興時に建てられたものが多いので、2階建てでも1階部分しか使わない店もあります。ただ、街がいろんな形で変わっていくことが必要と考えているので、5年後、10年後にはまた見間違えるほど変わったエリアになると思います。既に再開発の布石も打っていっています。過去の雰囲気だけを考えていてもしょうがないので……。
建物の建て替えはもちろんですが、地元民・国内観光客・インバウンド需要が融合した街のモデルケースを、作っていきたいです。
どんな人も楽しめる街にしていかないといけないと思うので、これからの流川にもぜひ期待していてほしいです。

最後に

過去・現在・未来と流川が持つストーリーを伺い、どのシーンにも、地域の住民とともに、という共通の背景がありました。華やかなネオンの裏には、地元の人の想いがあり、困難な歴史を乗り越えて今があるのも、変化を恐れず時代の流れや新しいことを取り入れる懐の深さがゆえ、とも感じています。
地元を愛し、守る人達がいるからこそ、外から訪れた人は安心して楽しめる。ぜひ広島に行った際は流川の空気に浸かって楽しんでみてください。

旅色編集部 すぎはら

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記事企画・監修:旅色編集部 すぎはら