2024/02/29
独自の文化が今でも色濃く残る沖縄。「せっかく訪れたのなら沖縄の歴史をさまざまな角度から触れてみたい!」ということで、560年ほど続く「普天満山 神宮寺」の住職にお話をお伺いしました。
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敷地内に入ると、まず本堂の建物に目がとまります。本土ではなかなか見ることのない、琉球らしい赤色の瓦屋根が印象的。荘厳というよりかは親しみやすい雰囲気を感じます。建物を見ているだけで、沖縄の歴史と寺院の巡り合いによる独特の文化が生まれているのではないかと、お話を聞く前からワクワクしてしまいます。
さっそく住職の金城(きんじょう)さんにご挨拶し、名刺を交換させていただくと、名刺に表記された“一二三代目”という文字に驚かされます。歴史ある寺院と聞いてはいましたが、なかなか見ることのない数字です。それもそのはず、通常の寺院だと一人の住職が何十年と続けていきますが、「神宮寺」は民間ではなく琉球王国の管理下にあったため、当時は3年に一度配置換えが行われていた時期があったそう。そのため1000年続く寺院でもあまりない、123代目といった珍しい状態になっているとのことです。
1459年に神仏習合の寺院として建立された東寺真言宗の寺院ですが、第二次世界大戦でほとんどが燃えてしまって、当時の記録はほとんど残っていないとのこと。唯一戦禍の時代を乗り越えたのは、 山門(さんもん)に立つ樹齢約300年といわれる天然のフクギ。戦争時に4本から3本になったものの、残りの3本は今も伸び伸びと艶やかな葉を茂らせ、寺院を見守り続けています。また560年続く「神宮寺」の歴史についての資料は、沖縄県立博物館に今も残っているそうです。
都道府県ごとに人口別に照らしてみると、47都道府県の中で沖縄だけが圧倒的に僧侶の数が少ないそう。住職の金城さんが、そこには沖縄独特の制度が関係していると教えてくれました。
お坊さんの数が少ない一番の要因は、沖縄には「檀家制度」がないからだとのこと。檀家制度は徳川幕府による政策で、特定の寺院に属して葬儀や供養を任せる代わりに、お布施などによってその寺院を経済的に支援する制度のこと。当時の沖縄は徳川幕府の統治下ではなかったため、今でも檀家制度が根付いておらず、「法事ってお寺に頼めるの?」といったお問い合せは未だに多いのだとか。「だからといって、決して沖縄の人に信仰心がないとうことではなく、あくまでも習慣がないだけのことです」と、金城さんは複雑な胸の内を語ってくれました。
琉球王国として栄えた歴史的背景により、本土とは文化習俗が大きく異なる沖縄。そんな仏教や寺院との馴染みが薄い沖縄において、金城さんは積極的な普及活動を行っています。地元のカルチャースクールに講師として赴き写経や座禅を体験してもらったり、寺院を会場としてさまざまなイベントを行ったりと、地元の方に向けてお寺を身近に感じてもらう機会を多く作っているそうです。ラジオ番組まで持っていたのだとか。昔は、小さいお子さんからお年寄りまで幅広い年代が集い、情報交換をしたり活動したりするコミュニティの核となっていた寺院。公民館や学校など、活動の内容に合わせて集まる場所が分散していった時代の変化は否めませんが、もっと“お寺を身近に”という住職の願いは強いようです。
「移りゆく時代とともに寺院の役割も変化してきましたが、今ではさまざまな年代が集まる“現代版 寺子屋”としての役割を果たしてきているのを実感します」と、住職の金城さんが嬉しそうに語る様子がとても印象に残りました。実際に境内には地元の方の姿が見られ、交流の場になっているのを感じられます。大事なのは、 ヨガ教室などの文化活動の場としてスペースを提供するなど、さまざまな催しを寺院で開催することで、小さい頃から寺院に足を運んでもらうこと。そうすることで寺院はどんな場所なのか、仏教の教えや考え方に対しての理解が自然に深まるだろうとのことです。「“お寺を身近に”というコンセプトは決して新しい取り組みではなく長年の信条であり、そのもとに活動しています」という住職のお言葉に、強い信念を感じました。
せっかく訪れたので最後に祈願して帰ることに。こちらでは、健康、商売・仕事・財運、学業成就など、願いによって色の異なる6種のお線香が並んでおり、好きに選べるようになっています。そんな遊び心あふれる趣向にワクワクしながら、今回は商売・仕事・財運を祈願すべくお線香を焚かせていただきました。
沖縄には、みんなでワイワイお喋りをしようといった意味の「ユンタク」という言葉があるそうです。“お寺を身近に”を信条にした住職と地域の人々が集う「普天満山 神宮寺」は、そんな言葉がぴったりな寺院。ぜひ沖縄観光の際に訪れてみてはいかがでしょうか?
普天満山 神宮寺