- 1泊2日
- 2日目
1泊2日で三重・伊賀上野城へ!名張藤堂家の邸跡も巡る歴史旅
伊賀上野(三重県)
予算:48,000円〜
・旅行する時期やタイミングにより変動いたします。あくまでも目安ですので、旅行前にご自身でご確認ください。
・料金は1名あたりの参考価格になります。
更新日:2025/12/19
藤堂高虎が大改修した「伊賀上野城」。その養子たる藤堂高吉を祖とする名張藤堂家の「名張藤堂家邸」。2つの史跡を中心に藩校や武家屋敷などの歴史スポットを巡る歴史満喫旅です。城下町に点在する歴史的建築物を活かした分散型ホテルに宿泊し、伝統に触れる特別なひと時も味わいます。
※出発は8時半頃を想定しています(各宿泊棟よりフロント棟まで徒歩移動:移動時間は宿泊する棟によって異なる)
名張藤堂家邸

名張藤堂家邸

現 玄関(現地にて撮影)

中奥(現地にて撮影)

縁側と中庭(現地にて撮影)

中庭(現地にて撮影)
初代藤堂高吉が古城跡の高台に構えた、名張藤堂家の武家屋敷。現在見られる建物の大部分は、宝永7(1710)年の名張大火後に再建された屋敷の一部分で、建物内では名張藤堂家関係資料が展示公開されている。

佐藤颯竜のおすすめポイント
- ★ 藤堂高虎の養子となった藤堂高吉に始まる名張藤堂家。一門家臣として代々宮内を通称としていたので、藤堂宮内家とも呼ばれていました。津の本家から1万5千石を給され、寛永13(1636)年に名張に屋敷を構えます。以来、明治維新を迎えるまで11代にわたり名張を治め続けました
- ★ この屋敷は、藤堂家に伝わる屋敷図(名張藤堂家旧邸図)から全体構成を見ることができるんです。現存する建物は往時の一部で、屋敷図によると中奥を中心とした部分にあたります。「中奥」というのは、公務を執り行う公式の場である空間とは対象に、公務を離れた日常生活を送る場としての私的な空間です
- ★ 藤堂高吉は、織田信長の重臣であった丹羽長秀の三男として、近江(現在の滋賀県)佐和山城で生まれた人物です。高吉はなかなかに濃い経歴の持ち主なのですが、残念ながらこの場で書き切ることができないので、訪れる前にぜひ調べてみてください
- ★ ランチは2スポットめへの移動中に、電車の乗降車駅(名張駅または伊賀上野駅)周辺で済ませておくのがおすすめです

佐藤颯竜のおすすめポイント
- ★ 昭和42(1967)年、かつての城域一帯が国の史跡に指定された伊賀上野城。現在では本丸を中心とする近隣一帯が上野公園として整備されていおり、敷地内には城郭遺構のほかに、松尾芭蕉を祀る俳聖殿、芭蕉翁記念館、伊賀流忍者博物館があり、伊賀上野の主要観光スポットとなっています
- ★ この城は天守以外にも特筆すべき点があります。そのひとつが本丸を構成する高石垣で、大阪城の高石垣とともに国内で一二を競う高さを誇ります。「打込はぎ」という技法で築かれており、根石から天端までは約30mもあるんです
- ★ 城郭が築かれている丘には、平安時代に平清盛の発願によって建立されたと伝わる「平楽寺」という大寺院があったといわれています。要塞としても利用されていたそうですが、伊賀忍者が織田軍と死闘を繰り広げた「天正伊賀の乱」で、残念ながら焼け落ちてしまいます
- ★ 後世に伊賀上野城の西之丸となる丘陵には、室町時代に伊賀の守護大名である仁木氏の館(守護所)がありました。藤堂氏の前に伊賀を治めた筒井氏は、この館跡と平楽寺跡に城郭を築城します。藤堂高虎による大改修後、城代屋敷(じょうだいやしき:城主の不在時に城の管理・防衛・政務を代行する「城代」が居住した屋敷のこと)が建てられる高丘の頂上が筒井時代の本丸であったとされ、その北東隅に筒井時代の天守があったと考えられています
伊賀上野城 復興天守

伊賀上野城 復興天守

大天守内部からの眺望(現地にて撮影)

大天守 1階(現地にて撮影)

大天守最上階 天井(現地にて撮影)

復興天守 外観(現地にて撮影)
伊賀市出身の政治家・川崎克(かつ)が多くの支援者の協力を得ながら私財を投じて建築した復興模擬天守。昭和10(1935)年に完成した、木造瓦葺き、白漆喰塗籠の層塔型3層3階天守で、藤堂高虎が築いた天守台の上に建てられている。

佐藤颯竜のおすすめポイント
- ★ この復興天守は、川崎克による純和風への強い要望によって、同時期にRC(鉄筋コンクリート)造で再建された大坂城復興天守とは異なり木造瓦葺きで建てられています。そんな天守内部には現在、武具や甲冑などの藤堂家ゆかりの資料が展示公開されています
- ★ 藤堂高虎が城を大改修した際、天守台の上には5層天守が建設されていました。しかし、完成目前の慶長17(1612)年に大嵐のため倒壊してしまいます。その後、江戸時代を通して天守が再建されることはありませんでした
- ★ 威厳ある天守台のみが鎮座し続けていた伊賀上野城の本丸。昭和に入ると、そんな天守台を活用しようという動きが起こります。川崎克の「攻防策戦の城は滅ぶ時あるも、文化産業の城は人類生活のあらん限り不滅である」という理想から、完成した復興天守は「伊賀文化産業城」と命名されました
- ★ 伊賀上野のランドマークたる、高さ約23mの3層3階大天守と2層2階の小天守。壮麗な模擬天守ですが、大天守が建つ天守台に注目するとある特徴が見えてきます。この天守、史的考証による設計がなされていないため、天守台より大幅に小さいんです。五層天守の天守台に三層天守を建てたので、半分程度の面積しか使用していないんですよ
旧小田小学校 本館

旧小田小学校 本館

外観 正面(現地にて撮影)

復元された教室(現地にて撮影)

机と石盤(現地にて撮影)

2階資料展示室(現地にて撮影)
明治14(1881)年に建てられた、擬洋風建築の小学校校舎。寄棟造りの木造洋風二階建てで、往時には「啓迪(けいてき)学校」と呼ばれて親しまれていた。1階には往時の教室が復元されており、2階には近代初等教育資料が展示されている。

佐藤颯竜のおすすめポイント
- ★ 大屋根中央にある六角形平面の太鼓楼が特徴の旧小田小学校。正面を西側に向けた、小田町を眼下に望む高台に建てられており、切妻屋根を載せた玄関ポーチが突出し、その上部にはバルコニーが付いています。そんなバルコニーには、当時ではめずらしい色ガラスが用いられているんです
- ★ 館内2階は近代初等教育資料展示室となっています。展示されている資料は、多くの市民から御寄贈されたもので、その数は3,500余点にも及ぶそうです。このなかから、明治初期〜昭和40年頃までの教科書・賞状・児童作品・学習用具などの一部が展示公開されています
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プランナー旅色コンシェルジュ・和田
































