神社仏閣や城、テーマパークなどSNS映え必至! 桜や紅葉などが観られる公園・庭園、歴史ロマンを感じる遺跡・石畳といった観光名所に加え、野球観戦やライブなどを楽しめるスタジアム・ホールといった文化施設を網羅。
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長野県|長野市
第二次世界大戦の末期に、政府中枢機能移転のために舞鶴山を中心として、皆神山、象山が掘りぬかれた。海岸線からも遠く、堅い岩盤地帯であることからこの地が選ばれたといわれる。この内、象山のみが現在公開されている。労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われているが、当時の資料が残っていないため定かではない。
9:00~16:00
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
上信越自動車道「長野IC」から7分
長野県|長野市
戦国大名・武田信玄と上杉謙信が5度に渡って争った「川中島古戦場」に開設された公園。園内には芝生広場や市立博物館などがあり、「八幡社」には1561年の4度目の合戦で、両雄が一騎討ちをした情景の像が立つ。
JR北陸新幹線長野駅下車 バス 20分
長野県|長野市
松代城は元は海津城という名で、1560年に武田信玄により築城された。甲州流築城術の特徴を強く持ち、武田氏築城の代表的な城のひとつとされる。武田氏滅亡後は城主が何度も変わり、江戸時代の1711年に真田信之が城主だった時に松代城に改名された。明治時代に廃城となった。
9:00~17:00
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
上信越自動車道「長野IC」から5分
長野県|長野市
創建以来約1400年、広く信仰を集める大寺院。約5万9千㎡の境内に大勧進・大本願と39の宿坊があり、年間約600万人もの参拝者が訪れる。1707年再建の本堂は「撞木造り」と呼ばれる独特の構造で、江戸時代中期の仏教建築の傑作として国宝に指定される。
お朝事の1時間前~16時前後(時期によって変わります)
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
JR北陸新幹線長野駅からバスで10分
長野県|長野市
戸隠地区は標高1000メートルを超える高地に発展した信仰集落で、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。戸隠神社などの社殿を基点とする参道沿いに規模な宿坊が並び、その周囲には農家や商家で構成される門前町が広がり、江戸時代以来の信仰集落の地割が良好に保存されている。
JR長野駅から車で35分
長野県|千曲市
絶景の夜景と満天の星空を楽しめる
「日本三大車窓」の姨捨駅と「日本の夜景100選」の姨捨SAを眼下に一望できる隠れ名スポット。街灯が少なく夜間の移動手段が限定される分、夜景のみならず、満天の星空を楽しむこともできる。徒歩での移動を検討している場合は、懐中電灯をお忘れなく。
通年見学自由
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
JR篠ノ井線姨捨駅から徒歩13分
長野県|長野市
戸隠神社は宝光社・火之御子社・中社・九頭龍社・奥社の五社で構成され、創建以来2000年の歴史を有する。平安時代末期には修験道の道場として知られ、当時は「戸隠山顕光寺」という名称で比叡山、高野山と並び繁栄した。明治時代に入り、1868年に明治政府が神仏分離令を出したのを機に寺を分離して神社となり、名称が「戸隠神社」に改められた。中社は1087年の創建と伝わり、祭神の天八意思兼命は天岩戸に隠れた天照大神を外に誘い出すために岩戸神楽(太々神楽)を考案した神として日本神話に登場し、知恵の神と言われる。境内の三本杉は樹齢800年を超える。
上信越自動車道「須坂長野東IC」から60分
長野県|長野市
戸隠神社は宝光社・火之御子社・中社・九頭龍社・奥社の五社で構成され、創建以来2000年の歴史を有する。平安時代末期には修験道の道場として知られ、当時は「戸隠山顕光寺」という名称で比叡山、高野山と並び繁栄した。明治時代に入り、1868年に明治政府が神仏分離令を出したのを機に寺を分離して神社となり、名称が「戸隠神社」に改められた。宝光社は、949年に創建され、1058年に現在地に移設された。祭神である天表春命は、中社の祭神天八意思兼命の子で、学問や技芸、安産の神とされる。
中社から徒歩20分
長野県|長野市
戸隠神社は宝光社・火之御子社・中社・九頭龍社・奥社の五社で構成され、創建以来2000年の歴史を有する。平安時代末期には修験道の道場として知られ、当時は「戸隠山顕光寺」という名称で比叡山、高野山と並び繁栄した。明治時代に入り、1868年に明治政府が神仏分離令を出したのを機に寺を分離して神社となり、名称が「戸隠神社」に改められた。九頭龍社の創建年代は不詳だが、紀元前に創建されたといわれる奥社よりも前に創建されたと伝わる。祭神は九頭龍大神で、雨ごい・縁結び・虫歯にご利益がある。
中社から奥社・九頭龍社参道入り口まで徒歩20分
長野県|長野市
樋口家住宅は、松代城近くの上級武士が住んでいた地区にある。真田邸(新御殿)に隣接している事からも分かるように、樋口家は真田家の家臣中でも特に重用された家柄であった。主屋の詳細な建築年代は不明だが、1862年に修理された記録が残っている。
9:00~17:00(11月~3月:~16:30)
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
上信越自動車道「長野IC」から5分
長野県|千曲市
国の重要伝統的建造物群保存地区。稲荷山の町割は、1582年に稲荷山城の城下町として築かれたものを基礎とする。江戸時代には善光寺へ至る北国西往還の宿場町として賑わい、江戸時代末期以降は周辺地域で産出された品々が集散する商家町として繁栄した。旧街道に沿って近世の町割が状態良く残り、多様な伝統建築が軒を連ねている。
長野自動車道「更埴IC」から5分
長野県|千曲市
荒砥城は村上氏の一族である山田氏が築いたとされる山城で、村上氏の本城・葛尾城の支城の位置づけだった。1561年の川中島合戦時には、武田軍と上杉軍とで奪い合われた。現在は「千曲市城山史跡公園」として整備されており、見張り台・兵舎・門などが復元されている。
9:00~17:00
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
上信越自動車道「坂城IC」から20分
長野県|長野市
685年創建。天武天皇が鬼無里への遷都を計画した際、鬼門方向の守護神として創建されたと伝えられる。室町時代に建造された本殿は国の重要文化財に指定されている(保護のためコンクリート製の囲いで覆われているため、通常時は拝観不可)。
上信越自動車道「長野IC」から60分
長野県|長野市
象山神社は、江戸時代後期の思想家で日本の開国と明治維新に影響を及ぼしたとされる佐久間象山を祀る神社である。象山の没後50年を機に神社創建が進められ、1938年に完成した。社地は象山邸があった場所であり、境内には町内や京都から象山に関係する建物が移築されている。
上信越自動車道「長野IC」から5分
長野県|上高井郡
現薬師堂は、昭和21・22年の根本大修理の際発見された墨書や「お薬師さん」の胎内銘により、室町時代初期の応永15年(1408年)の建立が明らかとな り、国の重要文化財に指定されている。板壁に残る極彩色の仏画などにすばらしい技術が見られ、室町時代初期の代表的な建築 と高い評価を受けている。
中央自動車道「須坂長野東IC」から15分
長野県|長野市
戸隠神社は宝光社・火之御子社・中社・九頭龍社・奥社の五社で構成され、創建以来2000年の歴史を有する。平安時代末期には修験道の道場として知られ、当時は「戸隠山顕光寺」という名称で比叡山、高野山と並び繁栄した。明治時代に入り、1868年に明治政府が神仏分離令を出したのを機に寺を分離して神社となり、名称が「戸隠神社」に改められた。火之御子社の創建は1058年で、宝光社の1.5kmほど上にの場所にある。祭神の天鈿女命は、天照大神が天岩戸に隠れた際、天岩戸の前で踊って天照大神を誘い出すきっかけをつくった女神として日本神話に登場し、舞楽や芸能や火防の神とされる。なお、他の4社が神仏混淆だった時代も火之御子社だけは一貫して神社だった。
中社から徒歩15分
長野県|長野市
国の重要文化財。松代藩の中級藩士・横田家の屋敷として江戸時代後期に建てられた。一般的な構成の住居であり、江戸時代の中級武士の生活ぶりを伺い知ることができる。世界遺産の富岡製糸場で創業当初に働き、製糸場の様子を記した有名な「富岡日記」の作者・横田英のほか、最高裁判所長官、鉄道大臣など、横田家は多くの著名人を輩出した。
9:00~17:00
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
上信越自動車道「長野IC」から10分
長野県|須坂市
園内の池に映る松が、竜が臥しているように見えることから名付けられた公園。池の周りに約150本、公園全体で約600本の桜が植えられ、4月中旬に見ごろを迎える。園内には動物園や博物館、運動広場などもある。
長野電鉄「須坂駅」から徒歩25分
長野県|長野市
松代藩の中級藩士・山寺常山の邸宅。常山は藩主・真田幸貫からの信頼を受けた人物で、藩士に兵学を教えるなど藩政に尽力した。現在、敷地内には表門(江戸時代末から明治時代初期に建築されたと推定される)と書院(大正時代末から昭和時代初期に建築されたと推定される)が遺されている。
9:00~17:00
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
上信越自動車道「長野IC」から10分
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