神社仏閣や城、テーマパークなどSNS映え必至! 桜や紅葉などが観られる公園・庭園、歴史ロマンを感じる遺跡・石畳といった観光名所に加え、野球観戦やライブなどを楽しめるスタジアム・ホールといった文化施設を網羅。
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宮城県|宮城郡松島町
湾に浮かぶ松島のシンボル
海に突き出るように建つ松島のシンボル。慶長9(1604)年、伊達政宗が瑞巌寺に先立って再建した東北地方現存最古の桃山建築で、中に安置された秘仏の五大明王像は、33年に一度御開帳される。
通年 8:00~日没まで
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
JR仙石線松島海岸駅から徒歩10分
宮城県|宮城郡
松島は約260の島々で構成されていて、京都府の天橋立・広島県の宮島(厳島)と並び「日本三景」と称される。眺望が良いことで知られ「松島四大観」呼ばれる四か所のほか「長老坂」など展望所が各所に点在し、平安時代以降は和歌の題材としてしばしば読まれるなど文化的にも古来から日本人に親しまれてきた。また、月見の名所としても有名で、1922年にはアインシュタインが観月のために松島を訪れた。
施設に拠る
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
JR松島海岸駅付近
宮城県|石巻市
齋藤家は秋田県の池田家・山形県の本間家とともに近代の「東北三大地主」と呼ばれた資産家で、齋藤氏庭園は九代目当主である善右衛門により明治後期に作られた。庭園は背後の丘陵地や岩窟を一体の空間として構成する特徴を有しており、2005年に国の名勝に指定された。
9:30~16:30(12月~3月:~16:00)
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
三陸自動車道「石巻河南IC」から15分
宮城県|石巻市
津波により74名の生徒・教職員10名が犠牲となり、生徒4名が生還。地震発生後の避難指示内容の正当性について多くの議論が起きた。保存か解体かの議論の結果、2016年に市が震災遺構として保存する事を決定。
石巻市街地から車で40分
宮城県|宮城郡
瑞巌寺は828年に創建された仏教寺院である。戦国時代には衰退したが、江戸時代に松島を含む仙台藩を領有した伊達政宗によって再興された。本堂(国宝)などの多くの文化財はこの頃に建立されたものである。江戸前期の1689年に俳人・松尾芭蕉が参拝したことにちなみ、毎年11月第二日曜日に芭蕉祭が催される。参道にあった寺のシンボルともいえる杉並木は、2011年3月11日の東日本大震災の津波に見舞われ約300本が伐採された。
8:00~17:00(12月・1月:~15:30、2月・11月:~16:00、3月・10月:~16:30)
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
JR松島海岸駅より徒歩5分、JR松島駅より徒歩20分
宮城県|宮城郡
西行法師が諸国行脚の折り、松の大木の下で出会った子どもと禅問答をして敗れ、松島行きをあきらめたという由来の地。 一帯は約260本の桜の名所で、展望台からは桜と松島湾の景色が一体となった、他に類をみない花見が楽しめる。
JR「松島海岸駅」から車で5分
宮城県|石巻市
日和山公園は旧北上川河口近くの丘陵地にあり、石巻市内を一望することができる。2011年3月11日の東日本大震災の際には、ここに多くの市民が非難した。江戸時代の1689年には俳人・松尾芭蕉と弟子・河合曾良が日和山に訪れた記録が残っており、山上に彼らの像が立っている。江戸時代より桜の名所として知られ、例年4月上旬から中旬に見ごろを迎える。
三陸自動車道「石巻河南IC」から20分
宮城県|登米市
国の重要文化財。1888年に建てられた二階建ての木造建築。1870年代の擬洋風建築とは異なる和洋折衷様式で、明治時代の学校建築の変遷を知るうえで重要な建物である。現在は教育資料館として一般公開されている。
9:00~16:30
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
東北自動車道「築館IC」から35分
宮城県|塩竈市
この場所には元は鹽竈神社だけがあったが明治時代に志波彦神社が同じ場所に創建され、現在は両社を合わせた「志波彦神社・鹽竈神社」が正式名称になっている。鹽竈神社は、日本神話に登場する神がこの地に製塩法を伝えたのが始まりとされ、中世以降は仙台藩伊達家の庇護を受けて繁栄した。志波彦神社は創建に関する経緯は諸説ありはっきりしていないが、1874年(明治7年)にこの場所に移された。江戸時代以降は、伊勢神宮で行われているように本殿を20年に一回建て替える「式年遷宮」が行われていて、2011年には18回目の式年遷宮が行われた。社殿や鳥居など多くの建造物が国の重要文化財に指定されている。
5:00~20:00
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
JR本塩釜駅から徒歩10分
宮城県|登米市
1961年に登米出身の実業家・渡辺政人氏の寄贈により建てられ、その後2019年に建築家・隈研吾の設計により新築され現在地に移転した。館内には、登米伊達家ゆかりの甲冑「鉄黒漆塗五枚胴具足」、刀剣「太刀備州長船恒弘」、絵画など登米が城下町だった当時の貴重な品々が展示されている。
9:00~16:30
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
東北自動車道「築館IC」から35分
宮城県|本吉郡
津波が押し寄せる中、周辺住民への避難指示を最後まで放送し続けた施設。この建物では職員43名が犠牲となった。現在の建物は鉄骨の補強・塗装の塗り直しがされ、建物周辺はかさ上げの盛り土で囲まれている。2031年まで宮城県の管理下におかれ、保存か解体かの判断を待っている。
気仙沼市街地から車で60分
宮城県|牡鹿郡
津波によって倒壊した交番。鉄筋コンクリートの建造物が倒壊した例は、世界で2例しかないと言われている。震災遺構として現状のまま保存されることが決まり、2020年7月の完成にむけ周辺は公園として整備中。
JR女川駅から徒歩3分
宮城県|気仙沼市
高さ16m、幅3mの大理石の石柱が海中にそそり立っている。明治29年(1896)の三陸大津波の際、先端部分が2mほど折れたことから折石と呼ばれている
24時間
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
【車】 三陸自動車道唐桑半島ICから約11分 【バス】 JR気仙沼駅から路線バス(御崎線)で約40分、巨釜半造入口バス停下車、徒歩約20分
宮城県|気仙沼市
東日本大震災の津波で、南校舎は最上階の4階まで浸水。学校にいた生徒約170人は内陸に避難し、校舎に残った教員ら約50人も翌日救助された。解体を予定していた北校舎を含めて校舎のほぼ全体が保存対象となり、2019年からの一般開放に向けて現在整備中
JR気仙沼駅から車で25分
宮城県|本吉郡
高野会館は湾から300メートルほどに場所に位置する結婚式場だった施設である。「語り部バス」の運行ルートにある震災遺構施設である。震災当日は多くの人がこの施設を利用していたが、会場スタッフの迅速な判断により327名が屋上に非難し難を逃れた。南三陸の「ホテル観洋」が運行している震災観光バスに乗車すると内部に入って見学することができる。屋上からは南三陸町の復興状況を一望できる。
JR一ノ関駅から車で60分
宮城県|気仙沼市
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館は、将来にわたり震災の記憶と教訓を伝え警鐘を鳴らし続け、気仙沼市が目指す「津波死ゼロのまちづくり」に寄与することを目的に整備された。気仙沼向洋高旧校舎を震災遺構として保存し、隣接する伝承館では震災の展示などが公開されている。
9:30~17:00(10月~3月:~16:00)
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
三陸沿岸道路「大谷海岸IC」から10分
宮城県|登米市
1872年(明治5年)に水沢県庁本庁舎として竣工。しかし、県庁が一関に移転したた県庁舎として使用されたのはわずか4年間で、それ以降は小学校として、さらに1889年からは裁判所として使用された。現在は、宮城県が誕生するまでの経緯や裁判所として使用されていた当時の資料を展示している。
9:00~16:30
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
東北自動車道「築館IC」から35分
宮城県|登米市
1888年(明治21年)に建てられた警察署で、1968年(昭和43年)まで使用されていた。その後、商工会が使用していたが商工会の移転に伴い建設当時の留置場が復元され、一般公開が始まった。当時使用されていたパトカーや制服などが展示されている。
9:00~16:30
※ 繁忙期などは変動あり。公式HPでご確認ください。
東北自動車道「築館IC」から35分
宮城県|気仙沼市
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